熊本地震、震度7の恐怖のなかの自助と共助(中)
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恐くて家では眠れない
不意打ちのように襲ってきた「本震」。「前震」では無事だった建築物にも損傷や倒壊が見られ、頻発する震度3~5の揺れのなか、家のなかで眠ろうという気にはなれない。また、「避難所に指定されている小学校の体育館は建物が古い」と不安視する意見もあり、車中泊を選択した。車のなかにいれば、崩れてくる建物の下敷きになることはない。しかし、2度の大地震で味わった恐怖と、その後の余震が安眠を執拗に妨げた。
朝起きると、身体の節々に少々の痛みがあり、全身の疲労が取れていない感じがした。18日朝、実家近くで車中泊をしていた51歳の女性がエコノミークラス症候群で亡くなった。メディアでは注意喚起と予防策が示されるようになったが、それでも家のなかで眠ろうという気にはなれなかった。「車のなかはきついけど、家のなかにいる時に余震が起きると、怖くて心臓が苦しくなる」と母。震度3~4の揺れで、最初に味わった震度7の恐怖が思い起こされるという。
「本震」の被害は、熊本市内の広域に拡大していた。当初、メディアが報じていた益城町の光景が市内各所で見られるようになった。二本木では、塀が崩れ、屋根が破損し、壁にヒビが入る家が増加。実家近くの寺院では一部の建物が全壊。西南戦争の熊本城攻防戦で、西郷隆盛が本陣を置いた二本木神社は鳥居の上部が真っ二つに割れていた。熊本のシンボルである熊本城、県下最古の西洋建築物「ジェーンズ邸」、阿蘇神社などが受けた甚大な被害に多くの人々が心を痛め、地震への恐怖を強めたことだろう。
大きな不安に包まれるなか、地域コミュニティーの力が発揮されていた。二本木では、隣近所数軒単位で食材を持ち寄り、屋外で食事する姿が見られた。無償で炊き出しを行う飲食店、支援物資を配る地元の企業・団体も珍しくなかった。「市からの情報はまったく入ってこない」という不安の声が払拭されるほどに『共助』の和が広がっていた。互いに励まし合い助け合いながら、熊本の人々は戦っていた。
(つづく)
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