サラリーマン社長と創業社長の執念の差 [1]
フタタ、ピエトロ、ベスト電器と福岡の上場会社が買収されたり大手の傘下話が流れてたりして戦線敗北の情けない情報が蔓延している。 「経営者の自立魂は何処に行った!!」 と問いたい。 ピエトロの場合には戦略的株対策で食品メーカーに身を委ねた。ところがフタタ・ベスト電器の場合には完全には業界の戦争に完敗した結果なのだ。 そこにはトップ経営者としての自立心の執念の差が明暗を決めている。 |
◆ 無政府、無秩序に堕ちたベスト電器
日本一の家電販売のヤマダ電機がベスト電器の株を買い占めたことが発表された。そのときにベスト電器社内の幹部たちの脳裏には恐怖の戦慄が走った。
「ヤマダに飲み干されたら我々は叩きだされる」
と危機感を抱いたのだ。
弊社ではベスト電器の(株)が買い占められていたことをキャッチはしていたが、買い占め行為をしていた相手がヤマダとは正直言って予測はできていなかった。しかし、買い占められていたベスト電器当事者側にとって寝耳に水とはお粗末な限りである。
そして有薗ベスト電器は安易な株防衛対策に終始した。株の第三者割り当て候補には3、4社あったなかで「紳士的なビッグカメラなら組みやすい」と判断したようだ。
ところが紳士故にビックカメラはヤマダ電機とはベスト電器を巡って正面戦を挑むつもりは毛頭ない。ヤマダ電機の株の買占めの動向に対して悠然と目視している。この泰然としたビックカメラの姿勢に有薗ベスト電器の幹部たちはやきもきしているのだ。もう少し表現を変えるとヤマダ電機の株の買占め動向の状況に一喜一憂をしているのである。もう打つ手なく無政府状態に陥っている状態なのだ。
このベスト電器設立以来の最大の危機に直面して露呈されたことは有薗氏が二番手として有能であったが所詮、トップの器でないということを証明したことである。
◆ 里帰りの決断を翻した禍根
有薗氏は鹿児島出身で学習院大学卒後に旭相互銀行(現南日本銀行)に入行した。福岡支店に赴任したときにベスト電器担当として出入りするうちにオーナーの北田氏から目をかけられて同氏の娘との結婚が許された。そして北田氏の片腕として采配を取ってきたのだ。
長きにわたって専務として非凡な才覚を発揮してきた。有薗氏の不幸は北田オーナーが同氏を社長にせず他界したことだ。オーナーの長男が社長に就いたのである(この詳細は次回に触れる)。
オーナー北田氏の長男・二代目社長が急逝した。この時点で三代目社長には二代目社長の実息の擁立の動きが一族内ではあった。
有薗氏は「エー、もう辞めた、辞めた。鹿児島に帰る」と口外し故郷へ引越し準備をしていた。故郷には人生の最後を迎える居住所を構えていたのだ。
同氏が尊敬する西郷隆盛でも野に下り鹿児島で隠遁生活をしたので130年たっても名声を残している。有薗氏も理屈ぬきに『立つ鳥跡を残さず』の通りにベスト電器とオサラばしていれば
「あー、あの有薗専務が残っておられたならばベスト電器はこんな哀れな成れの果てのワーストの結末にはにならなかった」
と惜しまれたはずだ。
人生最後の決算で豹変は命取りになる。
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