┃山本 博久 [やまもと・ひろひさ]
┃1973年1月16日 大阪生れ
┃住友生命勤務を経た後、37才にして不動産仲介会社を起業。
┃東峰住宅(株)社長、アーサーホーム(株)社長などを歴任し、
┃現在はアークエステート(株)代表。
■ プロローグ篇 ダイジェスト
I・B本誌、2007年10月22日(月) No.1278に、本ネットI・B「人生のエナジーは限りなく」、新シリーズ「福岡地場マンションデベの系譜、その黎明期から現在をたどる」のためのプロローグ篇を掲載した。
福岡は全国でも稀に見る地場マンションデベロッパーが互いにしのぎを削りながら、中央資本に対抗し、その進出を阻み、地場資本でかなりのシェアを誇る珍しい地域となっている。
本シリーズではその地場マンションデベロッパーの歴史をたどる。
今回の主役はアーサーホーム(株)創業者、山本博久氏だ。
山本は現在アークエステート(株)の代表取締役社長を務めているが、過去においては福岡地場マンションデベロッパーの草分け的存在として一時代を築き上げてきた。
アーサーホーム(株)時代にアーサーブランドを築き上げ、「センスあるアーサー」として広く認知され、同社はそのブランド力を誇ってきた。そのブランドには100億円もの資産価値があるとされており、それもひとえに山本個人の強い思い入れと、明確な哲学に基づき、築き上げられたものであった。
福岡地場マンションデベロッパーの先駆けであった山本の出自は住友生命だ。
高校卒業後同社に入社。入社早々不動産部門に配属、そこで不動産開発及びビル建築のイロハを学んだ。
その後同社の子会社である栄泉不動産に出向を命じられ、そこで大いなる活躍をする。26歳にして営業部長に就き、売上げを急伸させ、大阪では宅地造成100万坪も手掛けた。
また福岡事務所長も兼任、そこで大阪と福岡を行き来するようになり、福岡に縁を得るようになった。
その後住友生命本社に戻り、その実績を認められ、35歳にして不動産課長を拝命。高卒社員としては異例の出世となった。
そして広島支社長を命じられ同地に赴任。そこでは本来業務である保険業務に携わった。
元アーサーホームのオーナーも元をただせばサラリーマンであり、それも住友生命だったのだ。
山本は広島で1年間保険業務に携わったが、永年慣れ親しみ、且つ手腕を磨き、実績を上げてきた不動産業務を忘れられず、その経験から自分の天職は不動産だ、と退職を決意。37歳にして自立への道を歩み始めた。
74年、栄泉不動産時代に縁のあった福岡。そして福岡には不動産のプロフェッショナルが見当たらず、また大阪では埋没してしまう、と不動産を手掛けるのであれば福岡と決意、福岡で不動産仲介業の会社を起業した。
ここに福岡地場マンションデベロッパーの黎明期を彩り、栄盛を誇りながらも天の理(ことわり)の如く、枯衰の道をたどり、時代を築いてきた一人の男の生き様がある。
その生き様をたどりながら、独特のデベロッパー業界を形作った人々の人間模様を探り、現在地場デベロッパーが直面している状況に対して、一つの警鐘として本シリーズでご紹介する。
今後の展開にご期待いただきたい。
(つづく)
※この連載は小説仕立てとなっていますが、あくまで山本氏への取材に基づくノンフィクションです。しかし文章の性格上、フィクションの部分も含まれる事を予めご了承下さい。
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