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積水ハウス(株)と添い遂げた30数年 ─ ひたすらに極める造園の道 (2) | 愛する積水
特別取材
2007年10月25日 15:48

宮崎県椎葉村の頃 (1)


 (株)岡本採石造園―岡本社長の原点ともいうべき宮崎県椎葉村での採石作業における「凄まじい」(社長談)ほどの体験に入る前に、岡本氏の略歴を少し紹介したい。

 1949(昭和24)年6月、宮崎県児湯郡川南町に3人兄弟の二男として岡本氏は生まれた。その後、家業の関係で佐賀県から福岡県大野城市に移り、地元の小学、中学、高校に通った。

 岡本氏は高校を卒業する頃、土木関係の事業をしていた父親に「大学に行かずに青春を仕事にかけたい」と相談。父親から「お前は二男だから造園業をしないか」と言われ、造園業をやっていくことを決心したとのことである。
 岡本氏本人も家業の関係もあり、造園ならば土木との一貫性がある事業として展開できると思い造園業に踏み込んでいくこととなった。

 造園業を始めるには石が必要である。ではその石はどこから調達するのか。父親は宮崎県の椎葉村に良質の石があるから、そこへ行けということになった。岡本氏は、高校卒業後ただちに椎葉村に飛び込むことになる。採石が造園業へのスタートであった。

 岡本氏は椎葉村の石を自分でも研究し、また、いろいろな方々や専門家にも見てもらうなかで、椎葉村の石が庭石として非常に良質であることに確信を深めていったという。

 時は1968(昭和43)年。敗戦後の日本は幾度の好景気を経ながらものすごいスピードで経済成長が拡大していった頃である。この年にはGNPが資本主義国中でアメリカに次いで世界第2位の経済大国と言われるまでになった。電気冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビから「3C」とよばれるカラーテレビ・カー・クーラーの時代に突入していく時期でもあった。新たな「マイホーム」、住宅も手に入れたいという時流も生まれていく中で造園業は、時代の流れを読んだ先見性のあるものであった。

 高度成長、経済大国を謳歌している中で椎葉村は、そういった華やかさとは無縁の土地であった。日本の農山漁村がそうであったように椎葉村も過疎化の道を辿っていく過程にあった。1955年(昭和30年)には1万人を数えた人口はその頃は3分の2ぐらいになり、主力の農林業も衰退してきていた。

 今でこそ「平家落人伝説」に由来する椎葉平家まつりや登山・キャンプ場などの観光ルートが整備されつつあるが、それでも今から3年前の相次ぐ台風で、各地に被害が出て復旧中であることからも分かるように道路事情も極めて劣悪な地域。おそらく当時は悪路に継ぐ悪路であったに違いない。

 岡本氏は、周りには1600m級の山がそびえたつ一ツ瀬川の支流、大薮谷に掘立小屋を造りそこを作業場と住まいにして採石に全力投球することになる。


(つづく)


株式会社 岡本採石造園
所在地:福岡県糟屋郡宇美町貴船2丁目30番15号
電  話:092-932-8691
F A X :092-932-8693
代表者:代表取締役 岡本安幸
会社設立:1971年5月28日
資本金:1,000万円


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