┃山本 博久 [やまもと・ひろひさ]
┃1937年1月16日 大阪生れ
┃住友生命勤務を経た後、37才にして不動産仲介会社を起業。
┃東峰住宅(株)社長、アーサーホーム(株)社長などを歴任し、
┃現在はアークエステート(株)代表。
■ 東進ビルサービス、その産声を上げるまで
マンション管理を行なうに当たり、無人管理システムを構築することが必須条件だと考えた山本。
そのためには管理センターを設けなければならないことは、山本もすぐに思い至った。しかし、その管理センターとマンションをどう結びつなぐか、山本はこの問題、課題に直面した。
そして山本は当時情報伝達に通信回線が使われ始めたことを知る。しかし当時はエレベーター会社にすら、そのようなノウハウは活用されておらず、どのようにしたら良いか、その時点において、山本には不明な事案だった。
それでも山本は様々な文献を読み漁り、ある日とうとう通信回線を使った無人管理システムを作り上げた会社があることを知った。
その会社の名は日産建物管理、在阪の会社だった。その会社は電機会社と協力して管理システムを作り上げたことまでは判明した。
受水槽満限水位警報、管理設備の異常などの警報を送り、その情報が入れば係員が対応に出動するシステムであった。また火災警報など、センターで調査し誤報であることが判明すると遠隔操作で警報を止めることができる、と言う優れたシステムであった。
そのことを知った山本は当然のことながら大阪に出向き、その会社を訪れ、社長に会うことにした。無事社長に会うことができた山本であったが、
「このノウハウはうち独自のものであって、東京にもどこにもないものだ。これを簡単に貴方なんかに教えることはできないよ」
当然のことながら、けんもほろろに拒絶されてしまった。
ところがそれで挫けるような山本ではない。よくよく調べてみると、その社長の夫人が、自分が卒業した府立豊中高校の1年後輩であることが判明したのだ。
そこまで調べ上げる山本。そこには経営者としての意欲、熱意、情熱が発露し、真骨頂が発揮されたのだ。
この話を持って再度社長を訪問する山本。
「社長、実は社長の奥さんは高校の1年後輩で同窓生なんですよ。どうかこのご縁を慮(おもんばか)っていただいて、私を助けていただけませんか」
土下座の如く頭を下げ続ける山本。
その姿を見た当の社長、
「山本さん、そんなことまで良く調べてきましたね。私の家内と同窓生とはね。それじゃ仕方ない、貴方の熱意には負けました。その電機会社を紹介してあげましょう」
こうして山本はその電機会社に赴き、そこで互いに協力して新しい管理システムを考案、開発。でき上がった管理システムは、「T・R・Sシステム」と名付けられた。
T・R・Sとはすなわち「TOSHIN・RELIEF・SYSTEM(東進リリーフシステム)」。それぞれの頭文字をとって、そう名付けられた。
この完成したシステムを持って、山本は地場マンションデベロッパーに営業に行く。
「このシステムであれば安心です」
当時のマンションデベロッパーではこのようなシステムを自社で開発することは不可能だ。今であれば当然のシステムでも、当時では斬新、画期的なシステムで、デベロッパーも広く受け入れ始めた。
ここに確固たるマンション管理会社、東進ビルサービスは始めの一歩を踏み出したのだった。
(つづく)
※この連載は小説仕立てとなっていますが、あくまで山本氏への取材に基づくノンフィクションです。しかし文章の性格上、フィクションの部分も含まれる事を予めご了承下さい。
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