順風満帆
1989(平成元)年3月17日から9月3日まで、福岡市制100周年を記念し「アジア太平洋博覧会‘89」(通称よかトピア)がシーサイドももちを会場に開催された。よかトピアは博多湾のウォータフロント開発一大事業の合図であった。前年の88年7月には「シーサイドももち」起工式が行われ、積水ハウス(株)も参加している。
よかトピア終了後、会場一帯は福岡タワーや福岡市博物館を除き施設は取り壊され、会場跡地は住宅地や商業地、公園などとして整備されていくことになった。92年、(株)積水ハウスは「西福岡マリナタウン」開発コンペに当選し、ももち地区開発の参入企業になる。
90年代に入ると「バブル」がはじけ、日本は低成長の時代に突入していくことになる。
バブル崩壊の影響はもちろん各所に波及していくことになるが、例外的に九州では福岡への一極集中が進んでいく状況であった。福岡市の人口増加傾向の中で行政は住宅地や商業地の開発政策を打ち出していき、企業も競ってそこに参入していく。
岡本氏は積水ハウス(株)を元請とする福岡県の新宮湊坂団地の造成・公園工事を引き受けることになる。600棟の一戸建て住宅団地である。91(平成3)年から工事が始まった。
新宮湊坂団地は岡本氏にとってこれまでの経験と技術、そして感覚を発揮させるまたとない機会ともなった。視点は「数年先を見通した庭と街並みを調和させる」住宅団地の庭造りであったと岡本氏は語る。
洋風化する住宅と庭には今までの和風用の樹木は似合わない。北欧の針葉樹を植え付け、境界は樹木と芝と生け垣という斬新なものにする。塀や門柱がないオープンな造りで団地が形成され新しい街並みになっていく。
こうしたチャレンジ精神と住宅団地の景観は住む人だけではなく、関係者にも高い評価を得ている。
この「新宮湊坂」(平成8年3月竣工)は《まちなみ部門》で第9回福岡県建築住宅文化賞大賞(現福岡県美しいまちづくり建築賞)を受賞している。同じくこの年に《戸建住宅部門》で岡本氏の自宅(平成3年8月竣工)が優秀賞を獲得している。岡本氏の才能が花開き、一躍クローズアップさせたのが「新宮湊坂」であったと言えよう。
岡本氏は引き続き、福岡地所(株)の「サンライフ神山手団地」約250戸の造成・公園工事(97年~99年)、「宗像コモン」500戸の造成・公園工事という大きな工事をいくつも手がけていくことになった。
「宗像コモン」もそれまでの団地のイメージを一新した道路、芝生、集会場、住宅の配置は多くの人の目を集めることになった。
(つづく)
株式会社 岡本採石造園 |
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