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【人生のエナジー】福岡地場マンションデベの系譜 その黎明期から現在をたどる (10)
特別取材
2007年11月 2日 11:40
アークエステート(株) 山本 博久 氏


アークエステート(株) 山本 博久 氏
山本 博久 [やまもと・ひろひさ]
┃1937年1月16日 大阪生れ
┃住友生命勤務を経た後、37才にして不動産仲介会社を起業。
┃東峰住宅(株)社長、アーサーホーム(株)社長などを歴任し、
┃現在はアークエステート(株)代表。


■ 第一期興隆期を築き上げた気質

 ウキコとKBCからの要請で、KBCウキコホームセンターを立ち上げた山本。

 当初は戸建てを手掛けていたウキコであったため、戸建て開発とリフォーム事業を強く望まれるも、山本はこれからの時代はマンション需要が拡大することを確信。反対を押し切ってマンション開発へと進み、事業として成功を収め始めた。

 後にアーサーホームとなるKBCウキコホームセンターだが、その当時より山本は、マンションを造るのならば東京のマンションのクオリティには絶対に負けられない、必ず勝つものを造る、とその高い能力と哲学を注ぎ込み、情熱を燃やしていた。

 その努力は後に「センスあるアーサー」として世に認知されるに至るが、当時より山本が手掛けたマンションのモデルルームは注目され、「どこか違う」とセキスイ、住友などの大手他社が皆見学に訪れるほどであった。

 その意気込みと気概は地場の他社にも伝播し、競合他社も互いに競い合って、他では見られない良いものを造りあう、と言う好循環を生み出した。
 地場マンションデベロッパーのこの努力と競い合いこそが、全国どこにも見られない、マンション供給の地場占有率7割と言う驚異的な競争力を有する礎となったのだ。

 残念なことにこの構図は現在は崩れ始め、近い将来、それもかなり近い将来には大手有名マンションデベロッパーが地場占有率をかなり侵食してくることになる、と山本もその将来を憂う。

 マンションデベロッパー黎明期から第一期興隆期では、このように新規起業でありながらもその地位を確立し、また世に知らしめ、地方中核都市では唯一大手デベロッパーに勝つ、と言う気概と情熱を持った経営者を多く輩出した。
 一人や二人の特出した人間ではなく、多くの傑材が居たことは、驚くべき事実である。

 マンション戦国時代と揶揄される時代ではあったが、戦国時代を彩る偉大なる武将が群雄割拠し、その時代を築き上げ、栄盛を競い合っていたことは、福岡市民にとって決して迷惑な話ではない。選択範囲は拡大、自ら求める立地、仕様、価格を地場業者が供給する多くのものの中から自由に選択できるのは、市民にとっても好都合の市場環境だったはずだ。

 当時の福岡で競合し合う地場マンションデベロッパー群。そこでは互いに熾烈な競争をしていた。
 しかし他方では協力し合い、大手デベロッパーの進出をどうしたら阻むことができるか、また法規制にいかに対応するか、税制に対してどう動けば良いか、宅建業協会も含めて非常に先進的な取り組みを展開していた。

 鳩マークを作ったのも福岡、流通機構を作ったのも福岡が初めてである。

 その点で福岡は、互いに悪口を言い合いながらも相手の足を引っ張るような真似はせず、根本的にはこの業界を良くしようと手を結び合って、しっかりとした土台作りをしようとした土壌と気質を、この福岡とそこに存在した経営者たちは持っていたのだ。

 九州電力、福岡銀行を筆頭とする福岡七社会に対抗する形で力を培っていた旧福岡相互銀行の四島頭取とロイヤル、その他の地場企業の関係のごとく、いったん対抗心を燃やし始めると、競争相手を良く知り、共に手を取り合い対処していく気質が福岡の人々にあり、その半面、競争相手でありながらも相手を認める懐の深さを持っていたのが福岡だったのだ。

 それ故に最大の努力を惜しまず、血の汗を流して必死に業を推し進める経営者達が居たからこそ、福岡地場マンションデベロッパーの第一期興隆期、栄盛へと導いてきたのだ。

 山本は今、その時代を築き上げる一翼を担ってきたことに、大いなる思いを致している。


(つづく)


※この連載は小説仕立てとなっていますが、あくまで山本氏への取材に基づくノンフィクションです。しかし文章の性格上、フィクションの部分も含まれる事を予めご了承下さい。


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