┃山本 博久 [やまもと・ひろひさ]
┃1937年1月16日 大阪生れ
┃住友生命勤務を経た後、37才にして不動産仲介会社を起業。
┃東峰住宅(株)社長、アーサーホーム(株)社長などを歴任し、
┃現在はアークエステート(株)代表。
■ マンションデベロッパー淘汰時代に突入
一つの時代を築いてきた第一期マンションデベロッパーの経営者達。
それは栄枯盛衰の慣わしの如く、淘汰の時代を迎えることになる。
勿論それ以前に工夫の汗を流さず、時代の勢い、流れに乗ってきただけの会社は既にこの世から葬り去られていた。
それでも供給が一段落し、需要の先行きが見えにくくなれば、必然的に、そして経済の情勢にかかわらず、淘汰の手は迫ってくる。
日本に経済社会が成立、発達していった古(いにしえ)より企業30年説は説かれてきたが、それでも企業経営者がその発展に満足し、安定を求めだした時から、その企業は衰退への道を辿り始める。
そう考えていた山本は、競合他社のその道程を見守り、その動向を他山の石として、何故その道に足を踏み入れたのかを冷静に見つめ、経営者としての反省材料として心に刻み付ける日々を送った。
山本は自分達の業がこの福岡の地で生き残っていくには、規模の拡大ではなく、如何にお客様が喜ぶものを造り上げ、喜んで買っていただく。買っていただいた後も売りっ放しにせず、きちんと管理を行い、資産価値を高めていくことに傾注、邁進していくことができれば、企業として生き残り、存在していけることを確信していた。
そのことで山本はよりクオリティの高さを追及し、決して姑息な手段で利潤を追求しようとはしなかった。
思い返してみれば、耐震偽装問題はこの姑息な手段による利益追求の最たるもので、山本もこの事件に関しては、同じ業に就く者として、その憤怒を隠そうとはしなかった。
そして自分が歩んできた道には決してそのような事をしたことも、考えた事もなかったことを、我が道における自負とし、今日ある自分を誇りとしていた。
他人の眼から見ても、その姿は大地にしかと足を降ろし、遠くを見つめる眼差しの中の虹彩には、陽の光が燦然と輝き、その後ろに緑なす肥沃の大地がその身を包むが如く見えた。
山本はクオリティを追及するために、他社、特に大手デベロッパーの開発する物件の良いところは積極的に、そして躊躇せずに自社物件にも取り入れ、オール電化にもいち早く導入を図っていく。
オール電化導入に関しては社内の反発もあったが、山本はその安全性だけではなく、排出ガス抑制に繋がる環境問題面から見ても、マンションにおける主流になると確信し、反対を押し切って導入を図っていった。
併せて住宅性能保証、これは10年保証が法律で定められていたが、それ以上に住宅性能表示を他社に先駆け、取り入れることを決意した。しかしこれに関しては時期尚早、コスト高といった点で社内に反対論が強く、さすがの山本も合理性を考え、一旦はこの主張を収め、導入を見送った。
しかし山本は今考えてもあの次期に導入すべきだった、とその流れを振り返る。
「それこそがアーサーホームのアーサーホームたる所以だ」
山本の確信に満ちた言葉には言霊が宿り、それ故に第一期マンションデベロッパー淘汰時代に突入した時期にも、アーサーホームはその荒海の中を確実な舵取りによってその荒波を切り分けていった。
しかし切り分けた先に広がる海は、安穏たる穏やかな凪の海が広がっている、と言う訳ではなかった。
(つづく)
※この連載は小説仕立てとなっていますが、あくまで山本氏への取材に基づくノンフィクションです。しかし文章の性格上、フィクションの部分も含まれる事を予めご了承下さい。
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