┃山本 博久 [やまもと・ひろひさ]
┃1937年1月16日 大阪生れ
┃住友生命勤務を経た後、37才にして不動産仲介会社を起業。
┃東峰住宅(株)社長、アーサーホーム(株)社長などを歴任し、
┃現在はアークエステート(株)代表。
■ アーサーブランド誕生秘話
サラリーマンから起業、まさにゼロからスタートを切った山本が手塩にかけてきたアーサーブランド。このアーサーとネーミングしたところには隠された話があった。
それは山本が栄泉不動産に出向していた時代に遡る。
その時代はビジネス流通が盛んになり始め、山本の元にも本社からの指示で、不動産流通をするばかりでなく、ホテル造りを考えるように言われたことに始まる。
山本は大阪の市場性を考え、ホテルを造るのならば福岡だ、と考えた。当時天神3丁目に好適な物件があり、竹中工務店と相談、そこであればリーズナブルな価格設定でホテルを開業できる、と決意。現在で言うビジネスホテルの開発に着手した。
着手したのはいいが、それではホテル名はどうする、とそのネーミングに苦慮していた時、一人のデザイナーが山本に提案してきた。
「山本さん、“アーク”と言うのはどうでしょう」
「アークとはどんな意味ですか」
「アークとは“箱”という意味です。ノアの箱舟もアークと言われているんですよ。ホテルとしても箱物ですから、とても良いネーミングだと思うんですよ」
「あぁ、それはとても由緒ある名前で良いかもしれませんね」
「それにアークであれば、電話帳のホテル欄ではトップに載りますから、とても目立って良いですよ」
「そりゃ良い、そのアークで決まりだ」
山本は“アークホテル”というネーミングに即断を下した。
こうした経緯でネーミングされたアークホテルはその後全国へと拡がって行く。残念ながら最近幕を閉じたアークホテルの誕生に、山本は深く関わっていたのだ。
一見何の関連もない話のようだが、実はここにアーサーの名前が生まれた深層があるのだ。
それは山本がKBCウキコホームセンターでマンション開発を行ない、その業の発展と成功により収益を上げ、KBC、ウキコ両社に出資金を返却し、いよいよ自社ブランドを立ち上げよう、とネーミングを考えるに至った時へと繋がるのだ。
ネーミングを考えている山本の頭に閃いたのがアークホテルだった。電話帳掲載でトップに載るような良いネーミングを考えていた山本に、同じくデザイナーが提案してきた。
「アーサー、と言うのはどうでしょう、山本さん。アーサーとはアースにいる人、つまり地球人、と言う意味です」
山本は世の中で地球環境を考える時期が到来しており、くしくも環境庁(当時)もできた時で、アーサーはまさに時代に即したネーミングだ、と考えた。
アーサーはearthにerを付けeartherとしたもので、「我々は心ある地球人だ」、とマンション開発においても、地球環境に配慮した開発をして行こう、とする姿勢を表わすネーミングだ、といっぺんに気に入り、自らのブランドをアーサーとネーミングすることを決断した。
「山本さん、他にも考えて候補を出しましょうか」
「いやいや、全く必要ありません。アーサーで決定です。アーサーであれば電話帳でも上に位置しますから、これで行きます。先生、ありがとうございます。本当に良いネーミングを考えていただきました」
こうしてアーサーブランドは誕生したのだ。
山本が現在代表を務めるアークエステートだが、アーサーホームが分割・吸収され、アーサーヒューマネットを去った後、改めて起業した折に、アーサーより五十音順で上位に来るアークを使おうと、アークホテルに了承、商標登録の確認を取った上で、社名としたものだ。
アーサーブランドのネーミングにはこのような話が隠されていた。
こうして山本は、アーサーホーム、そしてそれまで持っていたマンション管理会社、東進ビルサービスもアーサーヒューマネットと改称し、アーサーブランドに基づくグループ社としてその礎を築いたのだ。
(つづく)
※この連載は小説仕立てとなっていますが、あくまで山本氏への取材に基づくノンフィクションです。しかし文章の性格上、フィクションの部分も含まれる事を予めご了承下さい。
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