┃山本 博久 [やまもと・ひろひさ]
┃1937年1月16日 大阪生れ
┃住友生命勤務を経た後、37才にして不動産仲介会社を起業。
┃東峰住宅(株)社長、アーサーホーム(株)社長などを歴任し、
┃現在はアークエステート(株)代表。
■ 第2、第3世代のマンションデベロッパーへの提言
借入れをするしか開発に着手できないマンションデベロッパーの第一期興隆期が様々な要因によって終焉を迎えた。
現在はバブルが弾け、身軽であった時期に興された第2、第3世代のマンションデベロッパーもふるいに掛けられ、淘汰の時代を迎えている。
山本は敢えて苦い経験を経てきた先輩として、その後輩に助言を送る。
「原点は如何に売れる商品を造るかに掛かっている。マンションに関して言えば、何にも増して交通の利便性が第一。これを無視したら失敗する。遠くに行っても売れたから、と言って柳の下のドジョウを狙っても、ドジョウに二匹目はない。とにかく、交通の利便、交通インフラの整った所でなければ、消費者、購買層は見向きもしないのが現実。
戸建てにおいても、私は中九州ニュータウン開発は失敗だった、と考えている。郊外で宅地面積を広くとっても、やがて住人はその不便さに都心に帰ってくる。やはり土地があるから良い、と土地神話に惑わされることなく、戸建てでも住宅環境インフラがきちんと整っている所で開発すれば間違いは少ない。
それと、新しい技術を先進的に採り入れていくこと。最近のオール電化、これは私が九電と話しをして、私が一番初めに手掛けたが、こういうことを考えることが大切だ。また、どこかが手掛けているように、太陽光を活用した自家発電技術を採用するなど、やはり新しいものに対して貪欲に勉強していく必要がある。すぐに使う、と言う訳ではなく、またこんなものは駄目だろう、と思い込まず、しっかりと研究して採り入れていく。勉強して良い、と思ったら行動を起こす。それが商品の差別化に繋がる」
山本は以前にも記したが、そのアーサーブランド・モデルルームには、中央大手資本マンションデベロッパーが続々と見学に訪れたように、先進的なデザイン、技術を採用したマンションを開発していった。
たとえば、本来マンションとは箱物、四角のものであるが、山本は敢えてそこに斜めの線を採り入れ、広さ、余裕感を演出するなど、売れるものを造ることに腐心した。
「単純に聞こえるかもしれないが、まさに単純に売れるものを如何に造るか、それが一番肝心。規模を大きくするために、とにかく闇雲に、ここは安いから、それじゃこれ位で売れるから、という安直な発想をするのではなく、商品として充分に吟味し、ニーズに合った物件を供給できるか、単純なことだが、それをきっちりとやることが最も重要」
規模的に大きな物を造ろうとすれば、中央の大手資本が出てくれば必ず負ける。
また大濠で坪300万円の物件の開発など、地場マンションデベロッパーは恐ろしくて、とてもできるものではない。ところが中央大手であれば、福岡地場で売れなくても、中央のお客様に売ればそれで良い、という考えを持っている訳で、そこに中央大手の優位性がある。
そんな大手に負けないように太刀打ちしようとするのであれば、地場デベロッパーは地場デベロッパーなりの地域マーケティングに基づいた丁寧な開発が必要であり、後はきめ細かなアフターサービスが絶対的に必要であり、その事で居住者満足を充足させていかなければならない。
山本はその考えに基づいて、マンション管理会社の重要性を充分に認識していたのであった。
そしてそのことによってマンション管理会社は一つの産業としての地位を獲得して行ったのだ。
(つづく)
※この連載は小説仕立てとなっていますが、あくまで山本氏への取材に基づくノンフィクションです。しかし文章の性格上、フィクションの部分も含まれる事を予めご了承下さい。
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