日清を動かしたスティールによる買い占めの恐怖
たばこ、カップヌードル、冷凍うどん--異例な組み合わせの買収劇だ。日本たばこ産業(JT、木村宏社長)と即席麺最大手の日清食品(安藤宏基社長)連合による、冷凍食品大手の加ト吉(金森哲治社長)の買収である。
日本に冷凍うどんを普及させた加ト吉の創業者、加藤義和氏は、売上高の水増しを意図した加ト吉の不正取引が発覚し、4月に会長兼社長の座を退いたが、結局、会社を身売りすることに同意した。
JT・日清連合による買収は3段階方式。JTが加ト吉の全株式取得を目指し1株710円でTOB(株式公開買い付け)を実施。買収後、加ト吉株の49%を日清食品に譲渡。JTの加ト吉株の取得額は1,091億円。日清食品への加ト吉株の譲渡額は564億円になる。
加ト吉を共同出資会社にした後、JTと日清食品は来年4月をメドにそれぞれの冷凍食品事業を切り離し加ト吉に移管・統合するというシナリオである。
冷凍食品業界は、加ト吉、ニチレイ、マルハニチロホールディングスの上位3社でシェアの50%以上を占める。3社の事業統合で加ト吉の冷凍食品事業の売上高は2007年3月期の合算で2,600億円と国内最大級になるという。
冷凍食品業界にシェアトップの企業が誕生するわけだが、異業種同士が手を組んだ買収劇には、別の側面がある。米投資ファンドに株を買い占められた日清食品の事情が隠されているからだ。
インスタントラーメンの発明
日清食品創業者の安藤百福氏は立志伝中の人物である。生まれ、育ちは台湾。立命館大学を出てメリヤス会社や蚕糸会社をつくる。ついで大和精機という軍用機部品工場を設立したが、憲兵がグルになって資材を横流しし、無実の罪を着せられた安藤氏は憲兵から後遺症が残るほどの拷問を受けた。
その極限の中で、「私は一度豚になった。そこから這い上がってきたときには“食”を掴んでいた」という。
空襲で工場を失ったが、戦後、すぐに事業を再開。大阪府泉大津市で、海岸に鉄板を並べ、海水を流して塩を製造する製塩業をはじめた。事業が軌道に乗り始めたころ、ある信用組合から懇願され、理事長に就いた。だが、信組が倒産。無限責任を負った安藤氏は、事業を売却して負債を弁済、大阪府池田市の自宅だけが残った。
当時は、戦後の食糧難の時代。人々は、食を満たすために屋台のラーメン店に列をなした。その光景を目にした安藤氏は「ドンブリと箸さえあれば、どこでも食べられるラーメンはできないか」と考えた。
自宅の裏庭に小屋を立て、インスタントラーメンの研究に取り組む。天麩羅を揚げることからヒントを得て、1958(昭和33)年8月に世界初の即席麺「チキンラーメン」を発明した。発売されるや「お湯をかければできあがる魔法のラーメン」と、たちまち大ヒット商品になった。
チキンラーメンをアメリカに売り込みに行った際、アメリカには、どんぶりという食器がないため、どうしたものかと思案していたところ、スーパーの店員がチキンラーメンを二つ折にして紙コップでつくるのを見て、カップ麺を思いついた。1971(昭和46)年9月に、世界初のカップ麺「日清カップヌードル」を発売した。
いまや世界中で食されるインスタントラーメンは1日2億食。スペースシャトルにも持ち込まれた宇宙食だ。生みの親の安藤氏は2007(平成19)年1月、98歳で亡くなった。
米ニューヨークタイムズは社説で安藤氏を取り上げ、安藤氏が発明した即席麺は、ホンダのシビック、ソニーのウォークマンと並ぶ、日本人が行った偉大な商品開発であると絶賛した。
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