田鍋は次のようなことは常に、幹部の集まりで語っていた。
「この積水ハウスという会社の船に乗った以上、皆、仲間である。たまたま、役割として、社長、役員、部長、所長となっているのに、長なりの役職に就いたら、何か自分が偉くなったかのごとく、勘違いする輩がいる。絶対、威張るなよ!幹部が部下に求めなくてはならないのは、服従ではなく仕事の遂行である。皆が働いてくれるから自分がある。ありがたい、という感謝の気持ちがなくてはならない。人間だから、好き嫌いはある。その感情をそのまま出してはならない。上司に対し甘言を弄する者が多いが、そんな人間にはむしろ、警戒すべきだ。苦言を呈し、問題を提起する人間を重用しなければならない」
田鍋の「運命共同体」「この会社には労使はない、労労だ」だと言っていたのは、幹部が横暴にならぬことを実践するよう要求し続けていたのだ。
一流会社の社長なら秘書同行が当たり前なのだが、田鍋は出張の時も秘書を連れず、生涯、一人で出かけていた。出張に行き、現地の幹部が気を利かせ、スイートの部屋を予約しておいたら、こんな部屋は要らん!と叱りながら、支払いは自分で払い、次の朝「これから、こんな高いのをとるなよ」と、そっとその幹部に注意をしたことをある幹部が述懐していた。
各地区の協力工事店との懇親ゴルフでも、気を利かせ、幹部がプレー費を支払っておけば、叱られる。必ず自分のお金で支払う人だった。
日露戦争の第3軍司令官の乃木将軍の弁当は梅干ひとつの簡素なものだった。このことが日の丸弁当として、全国に広まった。また汽車はいつも三等車だった。
国鉄の民営化に辣腕を振るった、東芝の土光氏も、めざしの土光、とも呼ばれ、質素な生活送られていたのは有名、会社への通勤は電車であった。東芝に再建に乗り込んだ時の挨拶は
「社員諸君はこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け、俺はそれ以上に働く」
と次年には黒字にしてしまうのである。
共通しているのは、仕事の業績が大きいにもかかわらず、謹厳実直な人柄、行動力、偉ぶらない態度、質素な生活態度であろう。このことが今でも、万人が敬意と賞賛を惜しまない理由だ。
現在の積水ハウスの社長をはじめとした幹部たちは、田鍋の築いた、素晴らしい、この伝統を 忘れたのだろうか?現代の何でも権力、金、という風潮に染まってはいないですか!
※記事へのご意見はこちら