平成19年(2007年)原油は暴騰し続けている。パニックになってもおかしくない状況であるが、30年前の石油危機で学習しているので、何事もないように、冷静である。価格は上がっても、需要と供給が安定しているからである。
昭和48年秋、晴天のへきれきのように、中東産油国6カ国、OPECが一方的に公示価格の引き上げを宣言、1バーレル3.011から一挙に5.119まで、実に70%の大幅値上げを発表、同時に石油の生産削減を実施。誰もが経験のないことだった。
折りしも、日本経済は列島改造ブームによる好景気に沸いている最中の出来事であった。
昭和47年(1972)田中角栄の登場で「日本列島改造論」を旗印に、その政策の推進が図られ、日本中、総不動産屋といわれるほど、不動産ブームに沸きかえり、景気は過熱ぎみであった。原油は上がり、輸入量も削減され、一斉にあらゆる物が値上がりし始めた。物がなくなる、大幅に値上がりする、という不安から、今のうちに買いだめしようと、トイレットペーパー洗剤などの日用品がスーパーから無くなる騒動にもなった。
この騒ぎはあらゆる物資に波及して行った。建設資材も一挙に40%から50%値上がりした。建設業界は建設用資材の入手難に陥り、その確保に窮々としていた。積水ハウスは主たる資材は一社購買をしていたため、各社は積水ハウス向けを最優先に、必要量を満額供給してくれ、工場の生産ラインが止まることはなかった。各会社は会社の方針として、積水ハウスには安定供給の責任があるとして、他の得意先の要望を削りながら田鍋の恩義に報いてくれたのだ。
エピソードとして、久保田の屋根材、カラーベストが市場にも問屋にもない状況の時、積水ハウスの現場にはどこに行っても野積みして置いてあると、全国の問屋、工務店から苦情が殺到していることを久保田の営業が話していた。積水ハウスも、当時、現場任せ、工事店任せの資材、木材、石膏ボードセメント、電線など、もろに影響をうけ、入手難に陥っていた。この経験から、本社で一括購入して、工務店に流す方式を採用したのはこのときからである。
一方で、田鍋は資材の確保に奔走するかたわら、積水ハウスの命運をかけた重大な決断をしようとしていたのだ。次回に記述したい。(文中敬称略)
野口孫子
※記事へのご意見はこちら