混沌と希望
今から2年半前、「もう仕事は出さないよ」との言葉に「何故?」「どうして?」という疑問が岡本氏の頭をよぎった。そして「なにか積水に損害を出したのだろうか?仕事上の失敗はないはず」と、これまでの積水ハウス(株)との30数年に及ぶ協力関係、お付き合いを振り返らざるを得なかった。そう、73年頃からの長い長い付き合いである。
岡本氏は造園業への歩みを始めたばかりであった。1960年に積水化学工業(株)ハウス事業部を母体に設立された積水ハウス(株)は、折りからの高度経済成長の追い風に乗って会社が瞬く間に拡大していった頃である。進取精神にあふれ野心に満ちた時期であっただろう。それ以降同社は、躍進に次ぐ躍進の時代を迎え、業界のリーディングカンパニーとしての地歩を固めていくことになる。
岡本氏は、同社との長い付き合いであるが故に、外からではあるが「愛社精神」があるという。それは30数年に及ぶ同社との関係で岡本氏も利益を得ることができ、また同社の仕事を行うことによって信用を得、他社などの仕事を獲得していく恩恵に与ったからである。また氏自身の技術力を高めていく大きな機会にもなった。
岡本氏の主力は民間である。大型住宅団地であれ個人注文の住宅であれ、良質の資材を出来るだけ安い材料で仕入れ、最善の技術で仕上げていくことが使命であり、喜びである。なぜなら住宅は「一生の高い買い物」であるからである。「手を抜く」ということではない、良質で生活に潤いをもたらす製作物をできるだけ低価格でお客さんに提供すること、これが氏の信念である。またそうしなけば新しい仕事につながらなし顧客も拡がらないからである。
元請が積水ハウス(株)の場合は、その子会社を通して工事を行うことが大半であった。子会社を通しての仕事では大きな利益は得られなかった。また氏自身は、これまで
「なかなか売れないようなところに手を入れて売れるように仕事をしてきた」
という実績と自負がある。また
「ほとんど利益がないのに積水のために頑張ってきた」
のに手の平を返したような態度は何だ、という怒りも生まれたのも事実であろう。
「正当に評価されていない」
という思いが強く残っている。だれでもそうであるが、自らの仕事の成果をお客さんに喜んでもらえるのが一番うれしいことだ。また元請会社に正当な評価をされることも経営者冥利である。
積水からの仕事が切れて以降、(株)岡本採石造園の業績は低迷が続いたが、「会社を維持しお客さんに喜ばれることを希望の灯り」に努力を重ね、いま大和ハウスなどからの協力によって前期並みの業績へ持ち直しつつある。
話しは前後するが、仕事を切られてからほどなくして、積水ハウス(株)福岡支店のアイランドシティ担当設計課長が北九州に配転になったことを、岡本氏は知ることとなる。岡本自身にも直結する何かの変化が積水ハウス(株)内部で起きているのであろうか。
(つづく)
株式会社 岡本採石造園 |