地元経済界の体たらくな現状
志をもった経営者が皆無
「経済界の支援がないからパラマウント事業の将来は不透明」と断じるが、「経済界が過去において地元の為に担う事業があったか」となると首を傾げたくなる。反論として「天神のNHK跡地の再開発を地元財界が推進したではないか」という声が上がるだろう。
確かに岩田屋の別館として有効活用ができている事実がある。しかし、この事業の実際の立役者は福岡地所榎本会長であることは周知のことだ。永年の不動産業の経験・蓄積から福岡新都心開発を設立し不動産ファンドの手法を活用して事業化に成功した。ある意味で福岡においてリスクを背負いきれる財界人は榎本和彦氏しかいないと断じられる。
福岡市民、いや福岡県民を結集・結束させる象徴として福岡ドームがある。その住民のお祭りのインフラ役を担ってきた福岡ドームの存亡に地元経済界は何ら関与できなかったことは情けなかった。結局はホークス球団をソフトバンクの孫氏に持っていかれたことは御承知の通りだ。かつてホークス球団を福岡に持ってきたダイエー・中内オーナーは本来ならば福岡の恩人と祭り上げられて良かったはずである。ところが福岡財界人は「中内は頭が高い」と批判を繰り返した。「どちらが何様か」と問いたい。「わが故郷球団」を支えきれなかったのだ。
そしてとどの詰まりは福岡ドーム三点セット事業を『禿鷹ファンド=コロニー』に転がされて500億円の大枚を握らせた。僅か3年足らずの間にだ。コロニージャパンの増井氏に手玉を取られ地元対策に利用されたお粗末な経済人もいた。年収1,500万、1,800万保障されたポストに安住した地元大企業のOB経営陣もいた。要は売国奴の片棒を担いだのである。悲しいかな福岡に大志を持った経営者が皆無となった。これらのサラリーマン経営者たちに山崎氏の志に感銘する感性がないのは自然の流れである。
山崎氏は単なるロマン家ではないし理念だけに終わる夢想家でもない。単純にテーマパークを導入すれば良いという教条主義者でもなかった。いかに事業の目途を立てられるかの方策の組み立てに細心の神経を傾倒させた。そこで到達したのがUCLA(カリフォルニア大学分校)の誘致である。映画テーマパークに隣接した場所に映像造りの技術を総結集した大学を開校しようという壮大な計画も練り上げたのであった。この構想では事業投資の期間は長期を要することが宿命つけられていた。
だからこそ久山町の地主たちへの提案は土地の長期賃貸契約案であった。地主の中には『トリアス久山』の地権者もダブっている。彼らは土地売却して資産を食い潰した悲惨の例を目の当たりしたし『トリアス久山』の地権者としてのメリットを成功体験している。「土地の売却よりも長期に渡って地代収入が確保されること」の得策を認知した上で山崎氏のパラマウント事業の土地賃貸契約案の提案に当初は強力に支持を得た。
しかし、投資の早期回収という資本の論理が山崎氏の理念に立ち塞がってきた。投資ファンド側ではある程度の資金を早期回収することを確定することが鉄則になっている。ここのところで投資ファンド側の投資動機と山崎氏の賃貸方式とが対立するようになる。だから投資ファンドの決定が長引き山崎氏は地主サイドから信用を失墜したのだ。この時点で事態打開の転換策を打つべきであった。結果論を言っているのでない。
実例を述べると投資ファンドは50万坪の土地を買収して一部は不動産価値づけをして売却するシナオリを描く。こうなると土地長期賃貸契約案と相いれなくなってくる。別次元の交渉になってくるので地主側は「話が違う」と反発するのは必然である。当初、地主全体が喜んでくれた提案が憎まれる羽目になった。山崎氏も早めに『土地買収』路線に方向転換=ぶれることが決定的になったときが撤退の時期だったかも。奇特な投資ファンド(長期回収を重んじるファンド)を探しきれなかったことが山崎事業の限界だった。
つづく
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