行政の無策の好例 教育委員会の無策
「自分の力で考える」ことがないという部分で言えば、市町村の教育委員会も自治体と五十歩百歩。
教育委員会というのは各市町村公立小中学校の経営主体だ。だいたい5人教育委員がいる。
この委員が集団指導制によって、その市町村の学校を「経営」することになっている。今の公教育では「いじめ」による、不登校や子供たちが自ら自分の命を縮めてしまうことが問題となっている。
ほとんどが「現場」で原因究明や犯人探しをしているが、子供たちが「そこに行ったら辛い」と思ってしまうような学校があるのは、その市町村の学校経営が失敗しているからだ。
教育委員でも「人ごと」だと思っている人もいる。いじめや自殺問題が起こったときの記者会見をみていても、何か対策をとるでもなく「何で私が」という顔をしている。
公教育を語る上ではいろいろな問題はある。例えば指導力不足の教員とか、確かにいるが、それはごくわずか。確実に言えるのは、「教育委員会の経営力不足」だ。こちらのほうが重大。
なぜ経営力が足りないかといえば、首長がきちんと選んでいないからだ。
あの地区からは何人、この地区からは何人選びましょう、という「地域割り」であったり、議員を引退して、時間をもてあましている人、地元の名士で叙勲が目前の人であったりという「権威」で選んでいる。
学校経営の任に任ずる教育委員を選ぶ人事は非常に重要なものであるはずなのに、議会でも、その人事案件はだいたい最終日に出され、ろくすっぽ審議されないままに「賛成」となってしまう。教育委員は「経営者」であって、輪番で回ってくる役職でもなければ、名誉職ではあってはならない。
世間では「教育が問題だ、教育を何とかしなければならない」と大騒ぎをしているが、肝心要の「経営者」をきちんと選んでいないのだから問題が起こるのは当然だ。
「自分の力で考え」たらどのような人を選ぶか。当然、経営責任をとれる、人格・識見ともに優れた人物を選ぶはずだ。
私が知事のときにそういったら、「そんなことを言っていては、誰も引き受けてくれませんよ」と言う。確かに、学校経営責任者としては、報酬が低すぎる。
議員さんよりも低い。本来なら、議員さんより高い報酬があってもいい。
そして、そこを判断するのは実は「議会」だ。こういう仕事にはこれぐらい報酬を出しても高くない、とか、その仕事にそれだけの報酬を出す必要はないとか。
そういう「価値判断」をするのが議会の仕事にほかならない。
つづく
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