ディマイナーたちの労苦
落成式終了後、ヨアン先生が家に寄ってほしいということだったので訪ねた。その高床式四阿風住居は、まさにドクロマークに囲まれるようにして建っていた。ヨアン先生は私たちに心からの感謝の言葉を述べたあと、画用紙の束を見せてくれた。それは校舎が完成に近づいた頃、子供たちが心をこめて描いた絵であった。私はその絵を日本の多くの支援者に見せるために、大切に持ち帰ることにした。
また、新しい学校には、水の施設が無く、飲み水はもちろん手を洗ったり掃除をしたりするための生活用水すら無いため、トイレも作れないとのことだった。シモーヌと相談して、まず雨水を蓄えるための貯水池を敷地内に作り、次にトイレを作ることになった。
学校に必要なものはまだまだある。それらを1つずつ充たしてゆかねばならない。
7月6日、 MAGの地雷撤去現場を視察した。 MAGのバッタンバンオフィスから国道10号線をパイリン地区方向へ走ること2時間半、TA KROOK (タックル)村の地雷原に着いた。ここは女性スタッフ15名だけで地雷撤去をやっている現場だった。
私たちのために現場に来てくれたバッタンバン地区責任者のモノ氏と、スーパーバイザーのソマラさんの説明を聞き、地雷原に入る。1月から始まった作業により36個の地雷と43個の不発弾の処理がすでに終えられていたが、その日もタイプ69型の対人地雷が発見されていた。地雷原を初めて訪れた宮原記者と、 NGOの撤去現場の経験が無い中里さんは、やや緊張した様子であった。
今回も地雷原に入るに際して、ヘルメットやプロテクターを着用したが、その重さと暑さは、酷暑のなかで黙々と撤去作業を続けるディマイナーたちの労苦を推察するに充分であった。
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