店頭には、インテリジェンスに関するおびただしい数の本が並んでいる。しかし、日本は今も昔も、インテリジェンスを軽視する傾向が強い。官庁でも企業でも、情報を扱っている部門の地位は低い。
インフォメーションもインテリジェンスも、日本語では「情報」と訳されているが、そもそも別物だ。インフォメーションは、新聞記事などのパブリックな情報。インテリジェンスは、公式・非公式なデータを分析して、意思決定に役立つ情報を指す。分析・評価がインテリジェンスの腕のみせどころである。
2007年9月、新聞に瀬島龍三氏の訃報記事が載った。享年95歳。筆者は、氏の講演を何回か拝聴する機会があったが、瀬島氏はインテリジェンスの第一人者だという思いを深くした。そこで、瀬島氏とインテリジェンスについて述べてみよう。
瀬島機関
「瀬島神話」の言葉を生んだ華麗な経歴を、改めて述べる必要はあるまい。太平洋戦争では大本営の作戦参謀。戦後、11年間にわたってシベリアに抑留。帰国後、伊藤忠商事会長となり、陸軍参謀本部をモデルにした独自の組織を構築し、総合商社化に尽力。中曽根康弘首相のブレーンとして、第二次臨時行政調査会(土光臨調)の国鉄分割民営化に深く関わった。山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公・壱岐正中佐、『沈まぬ太陽』の登場人物・龍崎一清のモデルでもある。
評価は功罪相半ばしている。とにかく毀誉褒貶は激しい。「昭和の参謀」と神様のようにあがめる崇拝者がいる一方で、戦争指導者だったことへの反省もなく、「政界の影のキーマン」として国家指導者然と振る舞うことに生理的嫌悪感を覚える人は少なくない。そうであっても、インテリジェンスの異才を否定する者はいない。
シベリアから帰国した瀬島氏が、収容所で一緒だった元陸軍中将の紹介で伊藤忠商事に入社するのは1958年。繊維商社の伊藤忠が総合商社に飛翔しようとする時代である。伊藤忠のドンと言われた越後正一氏の庇護のもと、航空機ビジネスで辣腕を振るうことになる。
伊藤忠OBから、瀬島氏のやり方を教えてもらったことがある。「報告書は、簡単に3点にまとめろ」というものだ。上司は要点しか見ないから、3カ条に要約した紙1枚で十分というわけだ。彼は「これが参謀本部のやり方かと感心した」そうだが、筆者は、その手法を模倣して3点報告を励行してきた。
つづく
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