大和ハウス、小田急建設と業務提携!という記事を見て想起したことがある。再び積水ハウスの歴史を語ることから踏み外してしまうが、作家、司馬遼太郎が書いた小説「義経」の中の一節を紹介してみよう。一の谷の戦いで、大勝した知らせが、鎌倉にいる、源氏の大将、頼朝のもとに届く。その夜、頼朝が家臣の大江広元と話をする場面。「今、少し控えめの勝利でもよろしゅうございましたな」。戦勝が大きすぎたことを広元は憂い、いぶかる。
頼朝は「そのわけは何か」と聞く。「大功は妖怪を作ると申します」。「妖怪」とは慢心をさしているのである。広元は、ひよどり越えの奇襲に成功した立役者、義経の心には、必ず慢心が兆すだろうと踏んだのだ。
広元を大和ハウスになぞらえれば、田鍋亡き後も大勝利を長らく続けていた積水ハウスは、大和ハウスにとって組しやすい相手に見られたに違いない。圧倒的な優位で、住宅業界に君臨していた積水ハウスの社長以下役員、幹部が慢心という妖怪に、知らず知らずいつの間にか、巣食われてしまってはいなかったのか。
先発の大和ハウスからトップの座を奪ったのが昭和50年(1975)。以来30年、トップを維持し続けてきた。田鍋は危機の度に、他社の追い上げを許すな!と、常に檄を飛ばして、トップを死守してきたのだ。田鍋亡き後、過去の遺産で食いつなぎ、過去の栄光にすがり、過去の成功体験をよすがにして、慢心が無かったと言えるだろうか。
トップの座を大和ハウス」に譲り渡した事実からして、そういわれても弁解は出来ないだろう。和田社長に敢えて異論を唱える役員もいない、皆イエスマンになってはいないだろうか。その体たらくでは、競争には勝てない。
田鍋語録にも紹介したように、「上司に対し、甘言を弄するものは多い。そんな人間には、むしろ警戒すべきだ。苦言を呈し、問題を提起してくれる人間を重用すべきだ」と田鍋は言っていた。もう一度、原点に立ち戻り、体制を立て直すべき時が来ていると思う。
業界トップという冠を持ってると、信用力がまるで違う。ビール業界のキリン、アサヒでわかる通り、つい20年前は、キリンのシェア70%近くあった。しかし、キリンの慢心でアサヒがトップになってしまう、今では、トップのアサヒのブランド力は凄いものである。
積水ハウスがもたついている間に、競争相手の大和ハウスは変化の時代を先取りするかのように、多角経営を目指し、小田急建設と業務提携、何れ買収、統合も視野に入っていると思われる(NETIB経済欄にも掲載)。積水ハウスの奮起を期待したい。(文中敬称略)
野口孫子