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「共育」が紡ぐ組織、そして社会(1) 人が私を磨いてくれる | 人生のエナジー
特別取材
2008年1月28日 11:46

大衆食堂からガソリンスタンド経営へ

 弊社『IB』誌上において「マックス経営講座」に健筆をふるわれている高木教光(たかき・きょうこう)氏。高木氏は26年間にわたり家業のガソリンスタンド経営に携わり、病気のためやむなく事業を解散。その後いくつかの会社に乞われ、ご自身の経験を販売促進、社員教育・研修、経営の合理化・活性化を行ってこられた。

 氏は現在、NPO法人キャリア教育サポートの理事長をされ、地場企業と学校をつなぎ、就職支援事業や青少年健全育成、起業支援事業など多面的な事業展開をされている。     
病気で事業を解散するという経営者としての辛酸を舐め、会社経営とはまた異なるNPOを事業として展開されている同氏の底には「人こそ宝」という思いが流れている。同氏の歩みを追いながら事業の意義と課題をレポートしていきたい。

 高木教光氏は1951年1月、福岡市博多区対馬小路に生まれる。家業は大衆食堂を営んでいた。ところが、61年、大衆食堂からガソリンスタンド経営に転身することになる。 

 いまの林兼石油㈱がこの土地を購入したいと買収話にきたのがきっかけである。人生はどう転ぶかわからない、氏は子ども心にそう感じていた。父親の判断としては、大衆食堂は男ふたりでやるのはもったいない、と考え、今からは時代の先端をいく商売をしよう、ということでガソリンスタンドをやることになった。この決断は、時流をみた判断であり、親としても相当の覚悟であったに違いない。そうして買収を断り、対馬小路の46坪ほどの狭い土地に「これでうまくいくのだろうか」という不安をかかえたまま開業した。これが高木石油第1号店である。

 当時はモータリゼーションの走りの頃である。日本における自動車生産台数は年間200万台にも届かず、町にはオート三輪が駆けていた時代である。そんな時代であり、現在のように流通・取引関係が確立していたわけではない。取引を仲介してくれたのが麻生セメントの役員をしていた叔父であった。叔父は三井物産を紹介してくれ、三井系の福岡でのGS第1号店になった。高木石油の「井げた」のマークの由来にもなった所以である。三井石油は東京ではいくつか店舗はあったが、福岡ではなじみがなかった。そこでお客さんからは「他の県では給油できない」という苦情が寄せられたものである。そこですぐに三井から林兼の傘下に入りシェルに切り替えて苦情に応えていくことにした。

 これもいろいろな人が手をさしのべて援助して頂いたお陰だと、高木氏は振り返る。


[プロフィール]
高木 教光 (タカキ キョウコウ)                    
NPO法人 キャリア教育サポート 専務理事
九州産業大学 非常勤講師
1951年 福岡市博多区生まれ
1972年 九州産業大学 産業経営学部 卒業
1972年 (株)高木石油入社
1972年 代表取締役に就任
1999年 病気から事業を解散し
2002年 (株)パールラボラトリー入社、化粧品販売福岡事業部本部長教育研修を行なう。
2006年 NPO法人キャリア教育サポートを設立 地場企業の経営者と教育界の方々との連携を行い、青少年の健全育成と地場企業への就職支援事業、教育事業やイベントを開催 福岡地区の大学生の自立と 起業支援事業を行う。
 
 

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