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積水ハウスの興亡史 (40) 奥井後の後継者選び | 愛する積水シリーズ
特別取材
2008年1月24日 11:02

 奥井に反旗を翻す者は一掃され、奥井も磐石の体制が出来ていた。もともと、奥井は営業出身でないため、田鍋の庇護の下で社長業を学ぼうとしていた矢先に田鍋が逝ってしまった。田鍋も奥井をワンポイントの社長に据え、その間、若手を育成するつもりだったのかも知れない。

 そのような事情で、奥井も長く社長をやるつもりもなかったようだ。ところが奥井も早く次の後継者にバトンを渡そうと思いながら、後継者の教育をしてなかったのである。

 造反劇に、各営業本部長が敵対する中、唯一和田だけが奥井に味方してくれ、淡路神戸大震災においても多大の実績を残してくれた。奥井の気持ちは、当初より和田に傾いていたのではないかと思われる。

 しかし、和田が次期社長候補という噂が流れると、社内、社外から首をかしげる人が多いことに、奥井は苦慮するのである。

 社内、社外から評判の良かったのは、当時、総務人事を担当していた杉村専務であった。杉村は積水化学、昭和38年(1963)の入社組。昭和42年に積水ハウスに移籍、主に化学、ハウスでも本社畑を歩いて来ていた。一時、営業の勉強のため、九州営業部次長として籍を置き、営業を学んだ経験は持っているが、和田のように、セールスの実績はなかったものの、九州大学卒、判断力、知性、人格のバランスがよく、人望も厚かった。杉村待望論が巻き起こっても不思議ではない人物であった。大株主である、親会社の積水化学も、当時、三和銀行(現在東京三菱UFJ)も杉村がいいのではないかと、思っていた節がある。

 和田の中部営業本部長時代のことが、本当か、嘘か、真しやかに漏れ伝わってくるのであった。社長としての資質に欠けるのではないかという噂。奥井は苦慮していたはずである。親会社といえど、あからさまな干渉には、簡単に受け付けるタイプではなかった。奥井の性格はどちらかといえば、短気、瞬間湯沸かし器タイプであった。

 当時、すでに、積水ハウスの売り上げは親会社より、はるかに大きく、奥井にもプライドがあった。真偽の程は確かではないが、あまりに評判の悪さが先行しているため奥井は悩んでいたようだった。(文中敬称略)


野口孫子


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