第一次石油ショック-「狂乱物価」
1973年10月、第4次中東戦争に端を発した第1次石油危機が世界を襲った。世に言う「石油ショック」である。原油価格は3カ月で4倍近くにはね上がり、石油価格暴騰による「狂乱物価」で国民生活は深刻な危機に陥った。便乗値上げが横行し、トイレットペーパーなどの買いだめに消費者が走るという光景も見られる始末であった。政府は財政と金融の引き締めを図り、インフレは沈静化した。しかし74年度の実質成長率は0.2%減と戦後初めてのマイナス成長となった。高成長の時代は終わりを告げ、70年代後半は5%程度の安定成長時代に入ることになる。
ガソリン業界に戦慄が走った。仕入れ値は上がるばかりで、組合は価格値上げの指導を行なう。高木氏は「こうした便乗値上げは続かない」と判断し、お客の利益を守ることを第1に考え対応していく。軽油が入ってこない時期には元売りと交渉し、量を確保し「お得意さんには不自由させない」という信念で、適正な利益の確保を図っていった。
石油会社のなかには「石油ショック」を利用して儲けることを第1の命令・社訓としていたところもあったが、社会的な指弾を受けることになる。前述の「狂乱物価」が実は企業による「便乗値上げ」であったことが明るみに出る。まさに高木氏の判断に誤りはなかったのである。
高木氏は振り返る。「石油危機のころはバブルに酔っているようなものであった。必ず反動が来る」優勝劣敗がはっきりした時代になった。きちんとした会社とそうでない会社の差が発展の分かれ道になっていくことを感じ取った氏は、会社の基本づくりを強く意識していくことになった。
76年、星ヶ丘給油所新設に伴い初代店長を任される。この店もお得意さんからの紹介で山を購入。バイパスの供用に伴いオープンしたものだ。激戦地区で当初は苦戦を強いられたが、記録的な売上げを達成する。
氏は語る「ツイていた」と。しかし、時代の流れを押さえながら会社を構築していく確かな眼力によるものであることは誰しもが認めるところであろう。
[プロフィール]
高木 教光 (タカキ キョウコウ)
NPO法人 キャリア教育サポート 専務理事
九州産業大学 非常勤講師
1951年 福岡市博多区生まれ
1972年 九州産業大学 産業経営学部 卒業
NPO法人キャリア教育サポートを設立 地場企業の経営者と教育界の方々との連携を行い、青少年の健全育成と地場企業への就職支援事業、教育事業やイベントを開催 福岡地区の大学生の自立と 起業支援事業を行う。
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