取締役に就任
1980年6月、高木氏は取締役兼総務部長に就任し管理本部勤務となり、いよいよ父親との二人三脚で高木石油の事業拡大に取り組んでいくことになる。
高木石油は当時、SSも5店舗になり従業員も40名を抱えていた。取締役総務部長として氏は、つぎのことを実行していった。まず第1に業務の効率化を進めていくことであった。5店舗を少人数で運営していくためには、POSやコンピューターを活用したデータ管理に基づいた運営管理と効率よい人員配置を進めることが必要となる。
SSは朝夕がどうしても忙しいが、ラッシュタイムに情報収集を逃すと収益に大いに影響する。そこで女性と学生をパートタイムで活用していくことが効率化には欠かせなかった。また女性を多用することは「眠っている」人的資源を引き出すことでもあった。
第2には、専門職・技術者を採用・育成していくことであった。SSの原点は給油、洗車、給油、整備である、そのメンテナンスサービスの内容を充実させていくことが既存客を定着化させ、新規客を獲得していくことにつながっていく。当然と言えば当然のことではあるが、石油販売だけでは薄利であり会社としての体力をつけていくことが出来ないからだ。
80年に勃発したイラン革命による第2次石油ショックは、世界的なインフレや不況を招いたが、日本は第1次石油ショックの教訓を生かし、大した混乱にはならなかった。円安ドル高のなか、日本経済はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国としての地位を占め、貿易黒字は世界第1位になっていた。81年に誕生したアメリカのレーガン政権の高金利政策によって、アメリカは当時、財政赤字と貿易赤字のいわゆる「双子の赤字」に悩まされ、85年には債務国へと転落していき、日本経済に大きな影響を与え、中曽根首相は輸入の拡大と市場開放を打ち出していく、こうした時代背景での取締役就任であった。
[プロフィール]
高木 教光 (タカキ キョウコウ)
NPO法人 キャリア教育サポート 専務理事
九州産業大学 非常勤講師
1951年 福岡市博多区生まれ
1972年 九州産業大学 産業経営学部 卒業
NPO法人キャリア教育サポートを設立 地場企業の経営者と教育界の方々との連携を行い、青少年の健全育成と地場企業への就職支援事業、教育事業やイベントを開催 福岡地区の大学生の自立と 起業支援事業を行う。
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