改正建築基準法の悪影響については、すでに各所で言及があるように、行政があまりにも現場を知らなさ過ぎることが最大の要因である。構造計算書問題で渦中の人物であった仲盛氏の声が届かないのも、こうした行政の一連の対応を見ている限り、至極当然である。
「大体、これまでの基準で行けば、確認が下りないはずがない。今の状況を見ると、これまでの物件はほとんどが不適格ということになる。福岡でも、このツケはエンドユーザーにいく。法改正には明確な基準が無い。福岡市は記者会見で公表すべきだと思う。この国は異常だ。もう一度、誰かが提訴しないと収拾がつかないくらいの事態となっているのではないか」。
こう感じているのは、何も氏1人だけではないだろう。建設とそれに関わる周辺の業界の悲鳴は、すでにあらゆるところで出ている。
また、「第2の姉歯」と揶揄された氏は、自身が苦境に立たされているにも関わらず、業界の将来を心配していた。「私が知っているだけでも、すでに6人が廃業した。60%~70%の職人が、来年には廃業したいと言っている。とくに、技術と知恵が熟練した50代が次々にやめていくのは、業界にとって非常に痛手だ。収入が減り、意欲をそぎ落とされ、皆が仕事に魅力を感じられなくなっている証拠だ。建設の需要はまだまだあるのに、もったいない話だ。また今年からは、本格的に建設関連業界は大不況・大混乱に陥るだろう」と危惧していた。
氏は現在、和解に向けて突き進んでいる。福岡市に対して、風評被害を受けたとして裁判を起こし、07年9月に棄却され、控訴の構えを見せていたが、「10月に控訴を取り下げた。しかし、疑念は払拭したつもりだ。裁判は今年で終わらせる。和解して、住民を早く楽にしてあげたい。そういう意味で、今年は勝負の年だ」と意欲を燃やす。
片道切符のつもりで真剣勝負をするという仲盛氏。「自分は間違っていない」という絶対の自信があったからこそ、2年間も孤独に戦い抜けたのだろう。今年、この戦いに終止符は打てるのだろうか。
つづく
[プロフィール]
仲盛 昭二 (なかもり しょうじ)
協同組合 建築構造調査機構 一級建築士事務所
参事(技術担当)
1951年2月8日、福岡市博多区生まれ。
九州産業大学卒業後、日本建設(株)に入社。
1978年、独立し、昭和設計事務所を創業。
1980年2月、設計工房サムシング(株)を設立し、同社代表取締役に就任。
2002年9月、サムシング廃業。
その後の現在に至るまでの詳細は、本文にて紹介。
▼共同組合 建築構造調査機構
http://www.asio.jp/
※記事へのご意見はこちら