これまで、氏は「孤軍奮闘」「孤独な戦い」をしてきた、と記してきたが、それは実は意図的な面もあったようだ。
そもそも、今回の裁判で問題となっていたのは「サムシングの構造設計」である。それならば、仲盛氏自身ではなく、元サムシング従業員がミスをしていた可能性も否定はできない。
それについて氏に問うと、
「たしかにサムシングは分業をしており、私が直接構造計算に関われた時間はそれほどなかったが、最終チェックはすべて自分の目で行なっていた。やはり構造計算自体にミスがあったとは思えない。それに私は当時の社長だ。責任転嫁を他の人にするつもりはないし、そもそも社長はすべてを負うリスクがある」
と、経営者としてのあるべき姿を説く。
では逆に、元サムシングOBと協力して戦っていくという選択肢はなかったのだろうか。それについて氏は、
「もしOBが参加したら、意見が混乱し、責任のなすりつけ合いになる恐れがある。それよりもむしろ、私が元経営者として、自身の考えが社の一貫した意見だと訴え続ける必要がある」
と述べる。
さらに、
「たしかに普通ならOBと打ち合わせをして一致団結、という方策を採るだろうが、あえて自分から関係を切っている。もちろん、OBからの協力要請もあった。しかし、それは気持ちだけ受け取っておきたい」
と、あえて自ら元従業員に火の粉がふりかからないように、孤独という道を選んだのだと言う。
氏がこのような方策を採ったのには、以上の理由があるのだが、実際にOBに火の粉がふりかかっている場面に遭遇したらしい。
「あるOBが独立して設計事務所を始めたものの、あの事件(姉歯事件後の「エイルヴィラウエストサイド」裁判)のあと、元サムシング社員だというだけで、いろいろな銀行から実際に融資を断られている。金融機関の間で、そうした個人情報が出回っているようだ」
こうした現状もあって、氏はあえて孤独の道を選んだ。しかし、そこには多くの人の協力があったのも間違いない。
「私は家族をはじめ、いろいろな人に助けられたからこそ、今でも戦うことができている」
つづく
[プロフィール]
仲盛 昭二 (なかもり しょうじ)
協同組合 建築構造調査機構 一級建築士事務所
参事(技術担当)
1951年2月8日、福岡市博多区生まれ。
九州産業大学卒業後、日本建設(株)に入社。
1978年、独立し、昭和設計事務所を創業。
1980年2月、設計工房サムシング(株)を設立し、同社代表取締役に就任。
2002年9月、サムシング廃業。
その後の現在に至るまでの詳細は、本文にて紹介。
▼共同組合 建築構造調査機構
http://www.asio.jp/
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