賃貸アパート建築・管理の最大手、大東建託(東京・港、三鍋伊佐雄社長)が揺れている。創業者で筆頭株主の多田勝美会長が、保有している同社株を売却して引退を表明したことが騒動の発端。投資ファンドは、多田会長の保有分だけでなく、大東建託の発行済み株式のすべてを取得し、同社の非上場化を提案。大東建託の経営陣は、買収案に明確な決定をしないまま、迷走しているのである。
ファンドは全株取得を提案
昨年12月下旬に行われた大東建託の買収入札。一次入札を経て残った買い手候補は、(1)ゴールドマン・サックス、(2)モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズの2社連合、(3)米不動産ファンドのエートス、不動産会社の森トラスト、国内買収ファンドのユニゾン・キャピタルの3社連合--の3グループ。
最終入札の結果、エートス連合が最も高い9,200億円の金額を提示、交渉権を得た。エートス連合は、経営陣が買収に賛同することを全株取得の条件にしている。焦点は大東建託の取締役会が買収案に賛同するか否かにかかる。
それなのに、入札から2ヵ月近く経っても、経営陣の意志は決まらない。多田会長を除く経営陣の多くは、「全株買収で上場廃止になれば、経営に支障をきたす」と、非上場化に慎重な姿勢を示しているからだ。
そもそも、昨年10月に社長を退いた多田会長が、自らの資産管理会社で27.6%の株式を保有するダイショウと、1.7%を持つ個人名義の大東建託株を売却することにしたのが、迷走のきっかけだ。
最大のミステリーは、なぜ、オーナーである多田会長が、保有株式を売却して、名実ともに大東建託を離れる決意をしたか、という点。大東建託は、賃貸住宅の戸数拡大を追い風に、2008年3月期の売上高は6,641億円の見込みで、9期連続の増収は間違いない。2007年9月中間期の現預金は1,462億円で、有利子負債ゼロの無借金。財務体質は極めて良好なのである。しかも、多田会長は62歳。高年齢を理由に引退する年ではない。保有株の売却理由を巡り、さまざまな憶測が飛び交うのも無理はなかった。
土地活用のビジネスモデル
多田勝美氏は、終戦直前の1945(昭和20)年7月に三重県に生まれた。県立四日市工業高校を卒業し小糸製作所に入社。10年間働いたのち独立。1974(昭和49)年6月、名古屋市で大東産業(現・大東建託)を設立、土地活用を提案するビジネスを始めた。
目をつけたのが農家。農地にスレート葺き貸倉庫、貸工場を建て賃貸するサイドビジネスを提案した。当時、稲作1反(300坪)の収益は20万円。農家には、手間がかからないうえに、現金収入と高収益を手にできた。このビジネスを全国に拡大。遊休不動産を持つ地主に賃貸アパート経営を提案し、建築・運営を請け負うビジネスモデルで急成長した。
勝負どころは、賃貸アパートを経営したい地主を見つけること。営業部隊は、「人の倍働いて、3倍の給与を」「取り組んだら離すな、殺されても離すな、目的の完遂まで」という営業スローガンを掲げた、徹底したノルマ実績主義である。このため、営業マンの離職率は、1年未満で60%、全社員の平均在職年数は2.7年といわれた。
訪問販売会社は、いずこも、似たようなノルマ方式をとっているが、長続きはしない。大東建託が、30年以上も、軍隊式の営業を続けたのは不思議なくらいだ。経済専門誌からは、だまし商法として叩かれ、インターネット上には、大東建託を比類なき野蛮企業として攻撃する専門のブログができるなど、とかくお騒がせな企業なのだ。だが、どんな非難を受けようと、あくの強い営業によって、賃貸住宅の管理戸数が業界ナンバー1になったのは、まぎれもない事実だ。
なぜ、多田氏は大東建託の株式を売却を決断したのか。独裁者という非難の大合唱に怖気づいたわけではなかろう。多田氏が大東建託株を手放す決断をした最大の要因は、保険業の改正にあった、という見方では業界関係者は一致している。
つづく