かつて「鉄の都」として栄えた北九州市。その北九州市戸畑区のJR戸畑駅近くに、「ブルーの時計」が目立つ建物がある。そこは、製鐵所がある地域には必ずと言って良いほどある、テラダ産業(株)の本社。産業用機械工具の卸売業社として、業歴60年を超えた同社の過去とこれからを検証していきたい。
テラダ産業(株)
代 表:寺田 俊幸
所在地:北九州市戸畑区牧山4-1-6
設 立:1958年4月
資本金:4,200万円
年 商:(07/9)111億2,990万円
業 種:産業機械工具卸ほか
製造業を根幹で支える
テラダ産業は、戦後間もない1946年4月、初代社長である寺田金司氏が、若松市宮丸町(現・北九州市若松区)に、八幡製鐵所との取引を足がかりとしてテラダ鑪製作所を創業したことに始まる。翌47年3月には、日立製作所、壺万鑪製作所、白光舎などと販売代理店契約を結び、商事部を開設。商事部をテラダ商店と改称し、九州全域に販売網を拡張した。
その後、58年4月に資本金200万円で株式会社へと改組。創業時より「メーカーの営業部門であれ」という認識のもと、鉄鋼・造船・プラント業界をはじめ、電機・非鉄金属ほか各社へ「より良い商品、価値ある商品をより安く、より早く」をモットーに、そして省エネや合理化、能率、原単位の向上といった顧客の諸対策に直接関わることを日々の営業活動としてきた。
さらに、アフターサービスを充実させる、いわばコンサルティングセールスも推進してきた。「鉄の都」北九州で生まれた同社が提供する商品群は、一般には馴染みが薄いものがほとんどである。しかし、鉄鋼その他製造業にとっては必要不可欠な商品であり、これこそが日本が世界に誇れる「高精度部品」であり、日本のモノづくりの最も重要な基礎となるものだ。
業務拡大、全国へ
54年12月に長崎出張所(現・長崎支店)を出店、その後も戸畑、東京、広畑、大阪、名古屋、光、木更津、大分、水島と次々に出張所を開設、全国展開を図り、現在では出張所を含めると13カ所の出先がある。当時の出張所は、現在では同社の核となる「支店」と改称されたところも多い。これは主力取引先が新日本製鐵・住友金属工業・JFEスチールなどの製鐵会社や三菱重工などの造船所を主体にしているためであり、現地での取引が成功してきたからである。
創業時からの理念である「すぐ近く」に出先を出店することで、スピーディーな対応をするためでもある。やはり製造業において、とくに部品の納入業者にとって、いかに早く納入できるかどうかが顧客満足度アップにそのままつながる。
資本金の変遷は、株式会社に法人改組した58年4月に200万円から始まり、75年1月に2,100万円に増資、76年1月に3,150万円、78年1月に3,500万円、80年2月に4,200万円に増資した。
役員構成は、代表以下、取締役管理部長の古後和弘氏、取締役大阪支店長の上野貴士氏、取締役東京支店長の緑川順一氏、監査役に寺田覚氏となっている。このうち、東京支店長の緑川氏は代表の娘婿であり、後継者と目されている。また監査役の寺田覚氏は代表の弟である。
株主構成は、発行済株式総数42,000株のうち、代表が16,800株(40%)と多数を所有、そのほかは従業員持株会・役員持株会で18,900株(45%)を占めている。
従業員の状況は、全社合わせて男子70名、女子20名、合計90名となっており、あまり変動はなく定着率は悪くない。現状、新卒の定期採用は行なっておらず、都度中途採用にて欠員を補っている。
また関連会社として、戸畑区牧山の本社敷地内にテラダ・トレーディング(株)という会社がある。こちらは代表の弟寺田真祐氏が経営している食品機械機器の卸売業の会社である。しかし、かつては同社と資本関係があったが、現在では本社所在地も埼玉県南埼玉郡に移り、当社本社内には北九州支店があるだけ。したがって同社とは完全に資本関係は分離されている。
つづく
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