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特別取材

No.012┃九州六大学・福岡六大学野球連盟審判部審判部長 原田 浩 氏 | 福岡への提言200人
特別取材
2008年2月29日 13:52

ガンを克服し、続ける野球審判!!

三度の飯より好きな野球

 文武両道の高校時代野球部で鬼の平原(通称・オヤジ)先生のもと3年間、盆も正月もなく練習に励んだ。26年秋の九州大会決勝戦で熊本工業に3:5で負け準優勝。翌春の選抜間違いなしのお墨付きであったが落選。決まれば宮崎県下初の甲子園出場だったので、県民始め地元高鍋町民も大ショックを受けた。中でも一番ガッカリされたのは平原先生だったと思う。「お前達は田舎者だから大阪のホテルで恥をかくといかん」と言って平原先生宅で食事のマナーなども教えて頂いた事、いまだに忘れられません。

 入社直後、社内チームに誘われ、三度の飯より好きな野球が出来る事に喜びを感じた。その頃、審判員の依頼があり積極的に参加するようになった。昭和37年高校野球大会へ行ったのが高野連一筋になったきっかけとなる。厳しい指導を受け試合には極力出掛けた。県大会(南部)の大畑審判長との出会いが大学野球への道となり現在に至っている。シーズンには今日は高校、明日は大学と連日好きな野球審判が続く。九州地区高校野球大会にも三度県代表で参加し、沢山の名手達を裁いた。


ストライク人生に悔い無し

 退職後は誰にも迷惑を掛けずに心行くまで頑張ろうと思った還暦の翌6年春、悪性リンパ腫(ガン)で余命半年との告知を受けた。今、元気でいられるのは野球と同時に友人を始め審判仲間、高鍋高校OB会の皆様からの力強い励ましと友愛を頂いたお陰と確信します。この入院中に30年間努めた高野連を退陣することを決意しました。
 退院後、担当医が少々無理というのを押し切って広島開催のアジア大会前日の講習会、翌年のユニバシアード福岡大会に備えて全日本アマの講習にも参加した。一生一度は世界大会の審判を夢見ていたので絶好の機会だった。講習の9日間はガンの事など忘れ、毎食おかゆで過ごしたのも思い出の一コマとなった。

 我が人生最大の思い出は、読売巨人軍の終身名誉監督の長嶋茂雄氏に高鍋高校80周年のイベントで講演をして頂いた時、食事の後で、審判のプロアマ交流をお願いしたところ、「グッドアイディアだね」と笑っておられましたが、秋の札幌大会では約束通りプロアマの審判交流が実現したことです。

 ボランティア精神で続けたアンパイア生活に、今年2月北九州市から教育文化の向上に寄与したとして教育文化功労賞を頂き、西日本新聞社からも40年功労賞をと、W受賞でした。これも偏に皆さんの応援とご指導の賜物と心より感謝いたします。

 限り或る文字数の中では言い尽くせない事が多々ありますが、今回は40年の審判人生を振り返り、皆さんにこの年令になっても夢を捨てずに頑張った一人の男がいたことを知っていただくだけでも幸せに思います。最後に皆さんの益々のご繁栄とご健勝をお祈り申し上げます。


[ プロフィール ]
原田 浩 (はらだ ひろし)
昭和27年宮崎県立高鍋高校卒、社団法人日本貨物検数協会九州支部(貨物検査、国土交通省管)入社、平成5年7月退社。
40年前から高校野球と大学野球の審判部員として活躍。
平成6年、高校野球審判員を辞退、現在全日本大学野球連盟福岡県支部で九州六大学・福岡六大学野球連盟審判部審判部長。
平成19年春、北九州市から教育文化向上に寄与したとして功労賞を、西日本新聞社からは40年功労賞を受賞。


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