事件から2カ月後の06年4月、仲盛氏は弊社インタビューに対して「非常に不快だ。姉歯氏とはしていることが違う」、「構造計算がここまでスポットを浴びるとは誰も思っていなかった」、「反論を2回したが、何回やっても議論がかみ合わない」と、不満をにじませていた。
あれから2年。話を聞く限り、状況が改善しているようには思えない。「昨年10月ごろ、反論の場を与えられるというのでその場に行ったが、担当者が誰もいなかった。2年間も、当事者の意見を直接聞こうとしないのはおかしい」と、その怒りは収まらない。
以前に県議会でも、一連の事件について追究してもらったそうだが、指定構造計算適合性判定機関(以下:適判)から理論攻めにされたら引き下がるしかない、という状況だそうだ。
仲盛氏は、何度か反論の場に出席させてほしいと訴えたが、「国交省の命令で、来てはダメと言われていた」そうだ。2年前の2月7日に公開討論を申し込んだ際も、出席メンバーすら教えられなかった。「当時私が話し合いに参加できていれば、今のように裁判が長引くような状況にはならかっただろう」と、行政の対応のまずさを指摘した。
「もし公開討論が実現するなら、大学教授でも専門家でも誰でも良いから、なるべく多くの人に参加してほしい。そして、ぜひ住民の皆さんにも参加していただきたい。討論でも裁判でも、私は絶対に負けない自信がある。法や論理といった知識では勝てないかもしれないが、30年間で15,000件を手掛けて身に付けた経験と知恵があるから」と、氏は自分の意見を公開する場が必要だと訴える。
「業務上のミスがあれば、素直に謝るつもりだ。私はこの問題が出たとき、他に波及しないように全部自分のところでせき止めていた。ある意味、行政のミスをカバーしていた面もある。それなのに、行政に嫌われる筋合いはない。行政には現場を見てほしい」と氏は語る。
つづく
[プロフィール]
仲盛 昭二 (なかもり しょうじ)
協同組合 建築構造調査機構 一級建築士事務所
参事(技術担当)
1951年2月8日、福岡市博多区生まれ。
九州産業大学卒業後、日本建設(株)に入社。
1978年、独立し、昭和設計事務所を創業。
1980年2月、設計工房サムシング(株)を設立し、同社代表取締役に就任。
2002年9月、サムシング廃業。
その後の現在に至るまでの詳細は、本文にて紹介。
▼共同組合 建築構造調査機構
http://www.asio.jp/