これまで、仲盛氏の波乱万丈な半生を記してきたが、家族のことが気になり話を聞くと、「妻には、『一切テレビは見ないから大丈夫よ。あなたの考えていることは表情を見て分かるわ』と言われた。また、息子に『学校で何か言われてないか』と聞いたら、『お父さんが正直に話してくれているから大丈夫』と言われた。私は、家族に対して、真実をすべて正直に話していたから、家族にも支えられた」。
また、「去年9月に判決が言い渡された、福岡市に対する300万円の損害賠償請求訴訟(※)でも、結果的には原告の請求棄却で敗訴だったが、ある恩人に紹介された弁護士の先生が、『仲盛さん、これは良い判決事例になるよ』と言われ、控訴取り下げを決意した」と、ある弁護士との出会いが、もうひとつの「戦い」に終止符を打つ決意をさせたと語る。
氏は、「戦い」を通じて得たもの、そして「戦い」が生み出したものについて、次のように語った。
「まず、絶対に逃げたらダメだと感じた。逃げなかったからこそ、家族は支えてくれたし、良い人にもめぐり会えた。今は敵半分、味方半分だが、味方が半分もいてくれれば戦い抜くには十分だ。
この問題は、私が技術屋だからこそ対処できた。構造計算は70%が経験、30%が知識の経験工学だ。行政はどうしても実務不足だから、知識はあるが知恵や経験値がない。今回の裁判を通じて、行政側の構造計算技術が向上したのは歓迎すべきことだと思う。
ただ、行政の窓口の人もかわいそうだ。人のアラ探しの仕事になり、どうしても優秀な人が集まりにくい。また、より問題なのは適判制度だ。私は制度そのものには賛成だが、昨年6月20日以降は、とくに適判員が主観で確認を下ろさないというケースが目立って増えてきた。これは皆で声を上げなければ、解決しないだろう。
これまで構造設計士は個人営業が多かったが、最近では構造設計士の絶対数が減っている。これは大きな損失だ。また、確認申請が厳しくなったせいで、たとえばゼネコン側が施工段階で起きた問題を隠蔽する体質になりつつあるというような話も聞いている。なぜなら、問題があれば工事を長期間中断して再確認する必要があるからだ」。
こうした建設業界の構造的問題は、行政・民間の双方がこれから考えていくべき喫緊の課題であろう。以上の仲盛氏の言をもって、「建設業界への提言」の締めくくりとしたい。
氏の半生を語り尽くすことはできていないかもしれないが、「私は命に代えてでも、最後まで一級建築士としての誇りを持って『戦い』抜き、和解を勝ち取って住民の方々を安心させたい」という想いは伝えられたかと思う。
最後に氏は、これから構造計算に関わろうとする若い世代に対して、次のように述べた。
「今の若い人たちに言いたいのは、構造の全体を把握して欲しいということ。最近は細かい数字にこだわりすぎて、大局を見ることができない人が増えている。ただ細かい数字ばかりを追うのではなく、構造がどのように成り立っているのか、知識はもちろん、もっと知恵や経験を身に付けて、総合的な構造計算ができるようになってもらいたい」。
おわり
[プロフィール]仲盛 昭二 (なかもり しょうじ)
協同組合 建築構造調査機構 一級建築士事務所
参事(技術担当)
1951年2月8日、福岡市博多区生まれ。
九州産業大学卒業後、日本建設(株)に入社。
1978年、独立し、昭和設計事務所を創業。
1980年2月、設計工房サムシング(株)を設立し、同社代表取締役に就任。
2002年9月、サムシング廃業。
その後の現在に至るまでの詳細は、本文にて紹介。
▼共同組合 建築構造調査機構
http://www.asio.jp/