今回向かった地雷原は、バッタンバンから西に国道10号線をおよそ2時間半行ったところにある、タイ国境付近パイリン特別市のバー・ホイ・トーン村である。ここは昔からある村で、「コラ」と呼ばれるカンボジアの少数民族が住んでいる地域でもある。
1979年(ポルポト派崩壊)から85年までの間、クメールルージュがこの土地に逃げ込み、原住民はプントラインという村に追い出された。さらに86年から92年までサムロという村に移されたが、91年の「パリ和平協定」そして93年の「制憲議会選挙」を経て、政情が安定しだした段階で村人たちは戻ってきた。現在は46世帯227名が住んでいる。
内戦当時、パイリンはルビーの産地であり、カンボジアで一番の採石量を誇っていた。また良質の自然木材が採れていたこともあり、この辺一帯はポルポト派に抑えられていたという経緯をもつ。広大な大地、のどかな田園風景ではあるが、戦いが激しかったこともあり、地雷や不発弾がまだ多数残存し、被害が絶えない。
なぜなら、肥沃な土地が余っているがゆえに、土地勘が無いよその土地の人々が、生活苦のために農地を求めるからである。さらに原住民も、たけのこを採るときに被害にあったり、雨季に生えた草を牛が食べるときにその番をしていた子供が被害にあったりしているようだ。
MAGは現在、この地区で16名(男性10名、女性6名)が作業に当たっている。チームリーダー1名、副リーダー1名、看護士1名、地雷撤去後のチェックをするもの1名、残りの12名が2人1組で実際に撤去するという構成になっている。もともと30名いたが、うち14名が被害に遭ったため約半分になったという。常に死と隣り合わせの危険な作業だと改めて感じた。
村人に被害者が出たため、彼らの希望によって今年1月8日から撤去作業がはじまった。5月9日に終了予定。地雷撤去後は住民に土地を渡し、3世帯16名が生活する予定である。
つづく
【大根田康介】
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