福岡と釜山の姉妹都市実現に向けて尽力。
日本と韓国の掛け橋となった半生
民間からの受賞者は3人目。名誉ある叙勲を受賞
「福岡は九州の中心であり、韓国に一番近い県。日韓関係を円滑にするために、私なりに出来ることをやりたかった」。1975年に福岡県日韓親善協会が発足して以来、同協会を支えている村井正隆氏。1月12日、大韓民国より修交崇禮章を受章。4月8日にはホテル日航福岡で「村井正隆 修交崇禮章受章祝賀会」が行なわれた。福岡県知事選挙などの統一地方選挙当日にもかかわらず、九州のみならず全国の政財界、韓国政府の要人ら約700人が集まった。
「国権の伸長、友邦との親善に著しく貢献した人」に贈られる同章は、政治、行政分野での受章者が多かったが、民間からの受章者は村井社長で三人目。今回の受章は、韓国国内を含めた全世界で367番目の受章となるもので、「永年に亘る両国親善の発展に尽くされた功績により叙勲の栄に浴された」のが受章の理由。村井社長は現在、福岡県日韓親善協会副会長を務め、今まで30年以上も日韓関係の友好化に尽力していたことが評価された。まさに村井氏の人徳により受章された今回の叙勲だった。
「関係深い民族が何故いがみ合わなければならないのか?両国は対等であり、もっと仲良くすべき」というまっすぐな思いから、82年から現在に至るまでの25年間、同協会の副会長として、陰ながら日韓親善のために尽力。在日韓国人の地位向上の為の礎を築くなどした後、福岡市と釜山直轄市が姉妹都市を結ぶために力を注いだ。
姉妹都市実現で、福岡市より「市政功労者表彰」を贈られる。
故・桑原敬一福岡市長は、韓国の釜山直轄市(現在の広域市)と姉妹都市になることを強く望んでいた。当時、韓国には一国一市という決まりがあり、釜山は既に山口県下関市と姉妹都市になっていた。姉妹都市の実現に向けて、桑原市長から相談を受けた村井氏は訪韓し、相当難しい事を承知の上で、大統領秘書官から国会議員になっていた金吉弘氏に相談。「両市の姉妹関係の実現は、福岡市のみの利益にあらず、必ず将来、釜山のためにもなる」と金氏を説得。その結果、18年前「福岡市・釜山直轄市行政交流調印」が行なわれた。これにより両市の職員が1~2年相互で人材交流を行い、現在でも続いている。そして昨年、韓国政府が“一国一市”という制度を廃止し釜山で名実共に“姉妹都市”調印が実現した。これらの活動を評価され、福岡市から、福岡市市制施行110年の記念日に「市政功労者表彰」を受けている。
村井氏は「私としては、この喜び(今回の叙勲)は望外の幸せです。今後も両国親善のお役に立てればと思います」とコメントし、『“市制功労者表彰”は、本来なら姉妹都市実現に尽力して頂いた金吉弘先生が受けられるべきだと思います』と続け、来賓の金氏を称えた。
最後に“天皇陛下は、わが祖先は韓民族の血を頂いている”と公の場で発言されたことに触れ、「私は日韓両国が兄弟、または親戚みたいなものだと捉えています。兄弟だから時には喧嘩もするし、助け合いもする。だからどこの国よりも仲良くしなければなりません。これからも、お互いがもっと理解し合えるような環境を作っていきたいと考えております」と、今後も日韓親善を推進していく考えを表明した。
[プロフィール]
村井 正隆(むらい まさたか)
ムライケミカルパック㈱代表取締役社長
1944年3月31日、三井郡北野町(現・久留米市北野町)生まれ。久留米高校卒業。
アメリカニューポート大学日本校、同大学院卒(通信過程)。福岡県日韓親善協会副会長。福岡キワニスクラブ13代会長。福岡県立久留米高等学校同窓会会長。福岡県協力会を育てる会常任理事。NPO法人日本の海と湖と川をきれいにする会理事。
91年 日韓親善協会中央会会長功労賞(会長:衆議院議員・田中龍夫)。97年6月、韓日親善協会中央会感謝状(会長:国会議長・金守漢)。99年11月、福岡市市政功労者表彰。2007年1月12日、大韓民国修交崇禮章受章
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