地雷被害者の現状を知るため、エマージェンシー・ホスピタルへ向かった。ここは1994年に設立されたイタリアのNGO(アフガニスタンやスーダンなどでも活動)が運営しており、1997年建設、1998年7月開院。戦争被害者のための病院で、とくにバッタンバン州に被害者が多いため現在の場所に建てられた。
設立当初は地雷や不発弾の被害者が多かったが、撤去活動や地雷・不発弾に対する教育が進み、全体的には減少傾向にあるようだ。ただ最近は、経済が発展して車やバイクが増えているせいか、交通事故が増えており、事故被害者もたくさん治療を受けていた。
昨年の地雷・不発弾による新たな被害者は約100名。また、2月はすでに13名の被害者が出ており(13日現在、1日1人ペース)、予断を許さない状況である。
当病院は施設・機器が充実しており、患者の精神を和ませる空間づくりを心がけている。と言うのも、被害者は肉体的なダメージよりも(とくに手足を失った人は)精神的ダメージが大きいからだ。また、医療器具は最新のものが揃っている。患者服などは無料で、カフェも設置されており、広くて美しい庭もある。院内には血液保管庫や薬局もあり、入院、通院、薬は無料。カンボジアで最高の外科病院と言われているだけのことはある。
しかし、こうしたきれいな環境とはいえ、実際の被害患者を目の当たりにすると痛ましかった。チャン・チェさん(16)は、牛の世話中に不発弾によって両手を吹き飛ばされた。彼は、不発弾に対する知識があまりなかったという。また、地雷撤去者(ディマイナー)だったドッ・ソーターさん(30)は、地雷撤去中に被害に遭った。幸い手足を失わずにすんだが、治ったら地雷撤去に復帰するかという問いに対し、「治っても二度と地雷撤去はしたくない」という、悲しくも当然の答えが返ってきた。
このほかにも、パイリンの畑で働いていて対戦車地雷が爆発し重傷を負った人や、伐採した木が地雷の上に落ち、不運にも爆発に巻き込まれた人などがいた。
このように、日常のなかに地雷・不発弾被害の危険がひそんでおり、人の身体機能だけでなく、人の未来そのものをあっという間に奪い去ってしまうのである。次回は、地雷被害によって未来を奪われた人々がいかに立ち直ろうとしているのか、職業訓練施設からお届けする。
つづく
【大根田康介】
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カンボジア同行取材 & CMC代表・大谷賢二氏インタビュー
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