留守家庭子ども会を巡る市議会の熾烈な争いに、市民から批判の声が上がっている。
吉田市長は選挙公約として留守家庭子ども会の無料化を掲げていた。しかし、それは多岐に渡る公約の中の一つに過ぎない。
公約については、現状に応じて臨機応変の対応がなされるべきであるし、守られないことが社会のためになる場合もある。
留守家庭子ども会については、山崎前市長時代に、受益者負担の原則を打ち出し、有料化されたものである。子どもの数は減っているのに、留守家庭子ども会制度を利用する児童数は増え続けていたことも、有料化への転換の要因になったことは間違いあるまい。
制度利用者とそうでない家庭の不公平是正の意味もあったはずである。
何しろ児童一人に1万円以上(現在は15,000円)の予算が充てられていることなど、一般市民は知らなかったのである。
少子・高齢化時代において、子育て支援がどれほど重要かは、言われなくても国民の大多数が分かっている。しかし、何でもかんでも無料にしていては、子育て世代全体に安心・安全を給付することに影響を与える。財源は無限ではないからだ。
女性の社会進出を促進するため「保育」の重要性は増すばかりだが、必要性の低い保育サービスを安易にばら撒く愚を犯してはなるまい。
有料化実施を決めた山崎前市長時代、有料化反対を叫んだ人たちが、今回も「無料化」を叫んでいるかというと、そうした目立った動きは皆無に近い。
年間所得550万円以下の家庭には減免措置が適用されているためだ。
「所得が低い家庭は有料化されると払えなくなる」。反対運動の人たちが拠り所としたこの問題は、すでに解消されている。
何度も報じてきたが、留守家庭子ども会利用家庭の要望の多くは、プレハブ施設の建て替えや整備、エアコン設置、指導員の増員、保育内容の充実といった「サービスの向上」そのものである。決して無料化ではないし、無料化を叫ぶ必要はなくなっているのだ。
また、市民の側も、行政サービスに対しては、一定の対価が必要であることを理解するような時代になっている。
問題はサービスの「内容」なのだ。
吉田市長が無料化にこだわるのは、市民の間から「吉田さんは何もしていない」という厳しい批判の目が向けられていることを自覚しているからではないだろうか。
人工島は「大胆に見直す」から「事業推進」へとまさに変節。山崎前市長時代と何か変わったかと聞けば、多くの市民が首をかしげる。子ども病院を単独で人工島に移転させると言い出す市長が、子育て世代を理解しているとも思えない。
こうした状況下で、吉田市長が面子にこだわり過ぎたことが、今回のドタバタ劇の要因ではないのか。
だとしたらリーダー失格である。
公約には、政治生命を賭けて守らなければならないものと、あっさり引っ込めるべきものとがあって当然である。留守家庭子ども会の無料化が、後者であることは間違いあるまい。
市政には、もっと議論すべき重要な課題が山積している。
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