プノンペンの南西約12kmのチュンエク村にあるキリング・フィールド(Killing Field)はその名の通り、罪無き多くのカンボジア人が殺害された現場である。同じような場所は全国に点在しており、いかに大規模な虐殺だったかが良く分かる。
地面に穴が開いており、ここに遺体が投げ込まれた。全部で129穴、1穴平均100名の遺体が入っており、最も深い穴には460人もの遺体が埋められていたという。ここにある慰霊塔には、これまでに見つかった8985柱もの遺骨が安置されている。
バッタンバンから南西約25kmにあるワット・プノン・サンポーという山の上の寺院も、そうした現場のひとつ。美しい風景とは裏腹に、ここでは約3000人が「粛清」と称した虐殺行為で犠牲になったという。
政府の発表では160万~300万人が犠牲になったというが、その数は定かではない。現地の人の話では、人口の3分の1(1家族に1人)は殺されたという。
実はガイドのブティさんも、幼少のころクメールルージュに捕まり死ぬ思いをしたという。「農村では食料調達や牛の番をクメールルージュによってさせられるが、牛の番をしているときにたまたま土に残った芋を見つけた。採ったら捕まるは分かっていたが、兄弟が飢えに苦しんでいたため、食べさせようと思ってつい手が出てしまった。捕まったときは本当にこれで終わりだと思ったが、たまたま捕まえた人の仲間が私の知り合いだったこともあり、九死に一生を得た」と暗い表情で語る。
カンボジアには内戦体験者がまだ多く存在しており、彼らの心の傷跡は癒えていない。しかし一方で、こうした出来事が風化しつつあるのも現状で、「トゥールスレンにしてもキリング・フィールドにしても、整備されすぎて段々と昔の陰惨な面影が無くなってきた」とCMCの大谷代表は語る。
つづく
【大根田康介】
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