薩摩の風シリーズ

　「日本一致一体トナリ、器械モ何モ一様ノ良器備リテコソ本途ノ防御整ウベシ」とは、薩摩藩の島津斉彬が水戸藩の徳川斉昭に書き送った言葉である。斉彬は諸外国の脅威に対抗するには新しい形の幕府を開いて全国規模での近代化を図る必要があることを痛感していた。そのため彼は藩主に就任するや否や集成館事業に着手して富国強兵の道を進む。

　斉彬は、文化６年（１８０９）９月２９日、薩摩２７代藩主・島津斉興の長男として江戸・芝三田の藩邸で生まれた。生母は斉興の正室周（かね）子である。幼い頃から利発で将来を嘱望された斉彬は、文化９年（１９１２）８月１５日、４歳のときに世子（跡継ぎ）として幕府に届けられ、同２５日、一橋家徳川斉敦の三女英（ふさ）姫との婚約を幕府から許可された。斉敦は１１代将軍徳川家斉の弟で英姫は将軍の姪にあたる。家斉の正室茂姫は島津２５代藩主島津重豪（しげひで）の娘だから、徳川家と島津家の縁はいよいよ深くなった。

　斉彬は幼少の頃から勉学好きだった。十歳のころ「四書」「五経」の素読を終え、十八歳の頃には中国の正史「二十一史」をほとんど通読していた。武芸修練にも熱心で、馬術、砲術、槍術を学び、剣は薩摩の本流示現流を修行した。斉彬は曽祖父の重豪（しげひで）からいたく可愛がられた。重豪は「蘭癖大名」と呼ばれるほど西洋や中国の文物に強い関心を示し、自らもオランダ語と中国語を話すほどだった。斉彬は、この重豪の影響を強く受け、幕末の諸侯の中でも最も世界情勢や西欧の科学文化に精通した者のひとりとなる。

　斉彬が生まれたころ、薩摩藩七十七万石の財政は、危機的状況に陥っていた。とくに宝暦３年（１７５３）に幕府から命じられた木曽川の治水工事は難工事中の難工事で、薩摩藩は８０名余りの犠牲者を出した上に、年収の２年分にあたる４０万両もの巨費を費やした。加えて桜島の噴火や度重なる風水害もあり藩の財政は坂道を転げるように悪化していった。文政１０年（１８２７）には藩の負債は５００万両に達し、誰の目にも再建は不可能とみられた。重豪は、茶坊主から抜擢した調所広郷（ずしょひろさと）に財政建て直しを命じる。調所はこの土壇場を債務の２５０年賦償還を強行して切り抜け、密貿易や贋金つくりなどのほかに、奄美三島に砂糖収奪の苛政を強いつつ、天保１１年（１８４０）には、ついに備蓄金５０万両のほかに運営資金２００万両を蓄えるまでにいたった。善悪を考えなければ、調所は薩摩藩の救世主である。のちに斉彬が、西欧の科学技術を積極的に導入した。集成館事業によって諸藩随一の軍事大藩になったのは、この強大な財政力があればこそである。

　１７世紀から１９世紀のヨーロッパは市民革命と産業革命の時代である。このヨーロッパ生れの資本主義の大波はイギリスを先頭としてアジアに押し寄せてきた。イギリス資本主義進出の背景には強力な軍事力、すなわち「軍艦と大砲」があった。七つの海に覇をとなえたイギリス海軍も、風の向きや風力によって左右されずに世界中の植民地に思いのままに航行できる武装蒸気船すなわち汽走砲艦を必要とする時代にさしかかっていた。１８３０年末から１８４０年代初頭にかけて、東インド会社の協力の下で本格的建造を進めた汽走砲艦が大活躍したのが１８４０年に始まるアヘン戦争だった。１８４１年１月、広州湾沖の海戦でイギリス汽走砲艦ネメシス号は、清国海軍のジャンク兵船団を片端から粉砕し大勝利した。ネメシス号は鉄船でありながら吃水下はわずかに６フィート、軽快に動きつつ２門の搭載砲を縦横無尽に発射して多大な戦果をあげたのである。こうして数世紀にわたって世界の海を席巻してきた木造帆走砲艦の時代は終わりを告げ、本格的な汽走砲艦時代が始まった。

　斉彬はいちはやく「軍艦と大砲」の重要性に着目する。当時、日本が唯一門戸を開いていたのはオランダで、同国を通じての中国の情報は逐一日本に伝えられていたが、斉彬は早くも天保１３年（１８４２）には、アヘン戦争についてのオランダ情報「清国阿片戦争始末に関する聞書」を入手している。当時、東洋最強国と思われていた清国が、ヨーロッパの島国イギリスに完膚なきまでに打ち破られた事実は、斉彬に軍備近代化の必要性を痛感させた。彼が意識したのは世界である。とくに海洋国家としてその勢威を誇っていたイギリスが関心の的だった。イギリス海軍汽走砲艦のマストには、ユニオンジャックがへんぽんとしてひるがえっていた。

　斉彬は愛用の地球儀を眺めながら考えた。「イギリスと日本の大きさはほとんど変わらない。それなのにイギリスの船が波荒い外洋を越え遥か彼方の日本まで乗り出してくるのは、しっかりした船があるからだ」。　斉彬は藩主に就任すると、早速ヨーロッパの造船技術をとりいれ、外洋でも航海できる洋式の船をつくり始めた。最初の和洋折衷船「いろは丸」は三本マストの帆船であり、幕府に大船建造を願い出て製作した大型砲船「昇平丸」もまた三本マストの帆船だった。しかし帆船では所詮、イギリス海軍の汽走砲艦には対抗できない。斉彬は風向きに左右されずに航行できる蒸気船づくりに執念をもやし、オランダのフェルダム教授が著した「水蒸気盤精説」を参考にしつつ蒸気機関づくりから始めて国産第１号の外輪蒸気船「雲行丸」を建造した。さらに、漂流民としてアメリカに渡り捕鯨船の乗組員を経験したジョン万次郎の助言を参考にして「越通（おっと）丸」をも完成させた。嘉永４年（１８５１）琉球に帰国した万次郎を、斉彬はしばらく鹿児島にとどめ造船や航海術などを指導させたのである。

　斉彬は大砲の製造と砲兵隊の編成にも意をつくした。当時の大砲は、カノン砲、野砲、山砲、臼砲などその様式や大きさは様々だったが、彼は大砲六門をもって一隊とし、一門ごとに砲手八人とする砲兵隊を組織し砲術訓練に当たらせた。嘉永５年（１８５２）８月６日、斉彬は自ら採り入れたフランス軍隊のバタイロン（大隊）操練法により城下六組の砲術訓練を実施した。小銃隊とともに行われたこの訓練では、射撃目標として甲州流軍学の人形が用いられた。これは洋式装備の近代的軍隊が、伝統的な和式兵法を打ち砕くという趣意である。斉彬は大砲の中でも臼砲（ボンベン砲）の形が気に入り、これに擬した茶碗をつくらせ、これにボンベン茶碗と呼び大砲の図と和歌をしるした。

炉に釜に道具そろへて異国（ことくに）の船を微塵に打てやぼむべん

　こうして薩摩藩の武備の充実には見るべきものがあったが、斉彬の基本的な考え方は攘夷ではなく開国だった。彼はつねづね、左右の重臣たちに「鎖国を続け、日本国を唯一の世界と思うの幣を除かなければ外国との交際は整うものではない。今は広く万国と交わり、わが国威を張るのが急務である。ゆえに国防軍備を充実し、若し無礼を加えるものがあれば断乎これをこらしめるべきである。しかしながら、本来、外国交際の精神は、平和親善を旨とし親交を通じるところにあるのだから、平時においては大いに物産を起こすべきである。」と説いていた。

　安政５年（１８５８）、斉彬が五十歳の若さで急死する。推進者を失った集成館事業では多くの部門が縮小廃止され、それに伴って金がかかる洋式軍備は在来の和式装備に切り変えられた。しかしながら、文久３年（１８６３）生麦事件に端を発した薩英戦争が起こったとき、斉彬が作らせた大砲が大いに活躍する。とくに、ボンベン砲の一弾はイギリス艦隊の旗艦に命中し、多くの死傷者を出し司令官を戦死させた。そのため薩摩藩は、イギリス艦隊のアームストロング砲の猛撃を受けながらも、なんとか引き分けの形に持ち込めたのである。この戦いで、和式の軍備が全く役に立たなかったことを知った薩摩藩は、イギリス艦隊の再襲にそなえて集成館事業を再開するとともに、それまでの攘夷の立場をかなぐり捨ててイギリスとの和平の道を探るのである。薩摩の意を受けたイギリスもまた、幕府を後押しするフランスに対抗する意味もあって薩摩と手を結ぶ。こうして、「日本一致一体トナル」維新への第一歩が始まった。　　小宮　徹

小宮徹氏
北九州市在住の公認会計士
（株）オリオン会計社　代表取締役
（株）オリオン会計社　http://www.orionnet.jp/

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