私たちの昭和
昭和30年代頃社会人になりたての少年Sは、長崎でサラリーマン生活を送っていました。出張には島原鉄道を、しばしば利用したものです。島原半島の海岸線を走る私鉄の窓外の眺めは絶佳でした。
この島原鉄道の常務をされ、作家であり、詩人であり、歴史家であり、そして農業人でもあった宮崎康平さんのことが思いおこされました。
宮崎さんは大正6年(1917)、長崎県島原市で生まれました。大学卒業後、東宝に入社しますが、お兄さんの死により、帰郷して家業の土建業に従事します。戦後、病没された父親に代わって島原鉄道に入り、その近代化に努められましたが、極度の過労から失明。 妻に出奔され、一人で乳呑み児を抱えて作詞作曲したのが絶唱『島原の子守唄』だそうです。
失明後は常務を辞任されますが、昭和32年(1957)島原の大水害発生時に請われて再度常務に就任、鉄道復旧の陣頭指揮をとられています。このとき出土された多くの土器が宮崎さんを古代史に導きました。
昭和32年(1957)に再婚された新しい妻和子さん(元NHK福岡放送局の声優)の眼とペンの手助けで、記紀、倭人伝を精読。 日本各地の遺跡を探るなど、和子さんとの共同作業で、『まぼろしの邪馬台国』が出版されたのが昭和42年(1967)です。
この昭和時代の不屈の先達の話が、吉永小百合主演で映画化され、2008年秋公開されることになりました。 小宮 徹
小宮徹氏
北九州市在住の公認会計士
(株)オリオン会計社 代表取締役
(株)オリオン会計社 http://www.orionnet.jp/
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