提言その1・・・・・大人・子ども、一緒に議論を!
この際、これをよい機会としてとらえ、教育委員会も含め、PTAや地域の有識者などを巻き込み、もう一度議論したうえで各校の判断に委ねてはどうだろうか。
そのことは、大人も子どもも一緒になって「食」について考える、ひとつの機会にもなるだろう。
提言その2・・・・・現実を教えることも教育
小学校では、児童が残したパンについて、たとえ全く手をつけていない袋入りのままの状態でも、「ごみになります」と明言しているのだろうか。どうも、そのあたりは曖昧になっているようだ。愚息や友人の子どもに聞いても、答えはまちまちなのだ。
誤解を恐れずに言えば、子ども達には、袋を開けていないパンでも残飯となり、ゴミとして処分されていくという現実を、しっかりと教えるべきではないだろうか。
もちろん同時に、世の中には、食べたくてもひとかけらのパンさえ口にすることのできない、あまたの子ども達のことも教えなければなるまい。
外国語が使えるだけでは「国際人」とは呼べない。世界の実情を知り、世界の中で日本人として何をなすべきかを考え、行動できる人間こそ「国際人」と呼ぶに相応しい。
真新しいパンが「ごみ」として捨てられても平然としているような人間が、世界を語ることができるのか? 答えは分かりきっている。
大人にとっても子どもにとっても、給食の新しいパン1個から学ぶべきものは多い。
提言その3・・・・・一部の意見で大切なものを切り捨てるな
教育現場はわずかな数のクレームだけで右往左往するべきではない。今回の「通知」は、持ち帰ったパンに異物混入があった、などというごく少数の苦情が発端になったらしい。
とんでもないことである。パンの持ち帰りは児童、あるいは家庭の自由に委ねられていた。もちろん給食時に異物混入などがあれば問題だが、持ち帰ったパンについては、家庭の責任である。持ち帰ったパンについて文句があれば、親が子どもに持ち帰るなと言い渡せば済むことで、学校や教育委員会の責任ではあるまい。
何でもかんでも学校や教育委員会の責任にしてしまう風潮は、再考する必要があろう。
しかし、教育委員会や学校側も毅然とした態度をとってもらいたい。
子育てはとどのつまり親の自己責任である。学校や地域はその補完だということを忘れてはならない。
いつのまにか、「モンスターペアレント」などという見慣れない言葉が市民権を得ている。文句は言う、給食費は払わない、そんな親が増えていることも事実だ。
問題は、一部の声だけに振り回されて、議論することもなく、1枚の紙切れで大切なことが切り捨てられることである。「食育」について考える、絶好の機会を奪ってはならない。
教育委員会や学校も、恐れることなく積極的に情報を公開し、議論の場を作ってもらいたい。
食べ残したパンは、持ち帰りを許した上で、食べるか処分するかの判断については各家庭の判断に委ねる、そうした過程も「教育」ではないかと考える。もちろん私見ではあるが・・・。
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