美しい言葉には皆弱い。戦前、「大東亜共栄圏」アジアを植民地化している列強欧米に、敢然と立ちはだかる日本の姿は颯爽としていた。ドイツではヒットラーが「ドイッチェランド・ユーバ・アレス(世界に冠たるドイツ)があった。「ゆとり教育」も響きはいいが愚民化教育かと思う程で、学力低迷で、安部政権のときに修正になっている。
積水ハウスでも CSR(企業の社会的責任)の推進、サステルブルな住環境(「環境価値」「経済価値」「社会価値」「住まい手価値」を創造し高める運動)の整備を掲げ推進している。横文字が好きなようで、社内の中で、この運動が上滑りしているのではないだろうか。美しい言葉を羅列しておけば、いかにも仕事したように思っていないだろうか。経営幹部が美辞麗句を並び立てているが、社員に理解させなければ、絵に描いた餅である。経営幹部にそれほどの熱意ある人はいないのではないだろうか。会長、社長に言われて、仕方なくやっているだけではないだろうか。
やっても経営数字がよくなるわけでもなく、この運動は会社としての長期経営戦略なのだが、目の前の数字に追われて、やっているフリをしてないだろうか。この運動を真剣に本気でやれば、全社員の血となり肉となり、定着したならば、積水ハウスのイメージはすばらしく好くなるだろう。大いに期待したいものである。積水ハウスの和田会長を取り巻く役員、幹部は概ね、言葉は悪いが、茶坊主タイプが多いのではないだろうか。時の権力者に気に入れられる事により出世の道が開けて役員に任命された。和田会長の引きによるものだ。このタイプは和田会長のご機嫌を伺い出世してきた。今の積水ハウスの幹部は何もしないで、和田会長の周りに座っているだけ。このような構図では大和ハウスとの競争に勝てるわけなく長期的戦略、大構想が出るわけがない。
積水ハウスに今必要な人材、幹部はしんがりを務める忠誠心を持ちながら、先頭を走り 社員を引っ張っていくリーダーである。会社は組織でやることと個人でやることの微妙なバランスで行うのが重要なのである。これを行うには積水ハウスに対する忠誠心が必要である。この一連のコアをリード、指揮するのが役員、幹部である。このような幹部、リーダーが出ない事が積水ハウスの低迷の原因ではないだろうか。
茶坊主、ひらめ族を排除し、真に仕事が出来るリーダーを任命するシステムつくりを急ぐべきと思う。リーダーは力量があってこそ人柄である。人柄がいいから、力量があるということにはならない。一杯飲み屋で身の上話を聞く、引越しの手伝いに来た人間をひいきにすると言った事はもはや時代遅れ。社員は会長、社長、担当役員、上司を冷めた目で見ている。そのシビアな評価に落第すれば、もう相手にしない。表面は適当に合わせていても、心の底は軽蔑があるのだ。リーダーはプロフェッショナルの時代と認識すべきだろう。権力により社員を押さえつけることは出来ても、組織は自然に病んでしまうもの。会社の総合力は落ちているものだ。
野口孫子 (敬称略)
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