北橋市政のマニュフェストは緒についてきた
【長野敏彦議員のプロフィール】
昭和21年8月生まれ 61歳 北九州市小倉北区出身
九州工業高等学校電気科(現・真颯館高等学校)卒業
昭和40年西日本鉄道株式会社入社
日本社会党小倉書記長など経て、平成9年から北九州市議会議員 3期目
小倉北区選出 総務財政常任委員会委員長
―――――市議会議員になられた経緯をお聞かせいただけますか。
長野:
西鉄に入社して組合活動をしていたのですが、組合活動に関心を持ったのは、同期入社の友人が電車の車掌をやっていて会社からあらぬ嫌疑をかけられ、「働く人間の権利を守らなければ」と思ったことからです。
27歳の時、吉田法晴衆議院議員の公設秘書になるために西鉄を辞め、政治の世界に入っていきました。
32歳の時、初めて市会議員補欠選挙に出たのですが、残念ながら次点でその後、社会党の小倉の書記長などを務め、役員として裏方で党の活動を支えていました。
平成9年1月の市議会議員選挙直前、前年の8月に小倉北区の現職議員が亡くなり、急遽後任として擁立されました。
ちょうど当時衆議院選挙が行なわれたのですが、新進党の弘友議員の事務所に社会党の立場で応援に入り、その選挙が終わって、ようやく自分の選挙を短期間で戦わなければならなかったのですが、支援者の皆さんのお陰で当選することができました。
北九州はモノ作りの街と言われますが、それを支える働く人達の立場でこれまで市政に携わってきました。
―――――平成20年度の北九州市政の重要課題は何だとお考えですか。
長野:
末吉前市長時代に基本的インフラは整備されたと思います。
しかしそのインフラは国の補助事業が多く、北九州市には大きな負担が残されています。市債償還のため財政面は非常に厳しい状況です。
北橋市政になり、私たち社民市民連合は与党として、「ハードからソフトへ」という路線を全面的に支持して、財政状況が厳しい中でも市民の要望が強い事項には重点的に予算配分を行うことができたと思います。
しかし、財政状況が厳しいことに変わりはありませんので、やはり歳入を増やす手立てに取組むことと、更なる無駄の削除が必要だと思います。
つづく
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