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積水ハウス100周年を目指して (38)東北魂、会津魂を忘れるな!| 愛する積水シリーズ
連載コラム
2008年5月30日 12:03

日本の今の風潮は、勝ち馬に乗れないのは馬鹿と思われる時代である。しかしながら、勝っても恥ずべきことがある。負けても賞賛されるべきものがある。今回の福島からの手紙に添付された資料を見て、あなた達の先人は誇り高き日本民族、東北武士の子孫だったことに思いをいたる。資料の内容は、あまりにも情けなく、品格のないものだった。

幕末の時代、会津藩は幕府の命で京都守護職となり、至誠の会津武士は忠実に職務を遂行、禁門の変では蛤御門で尊皇攘夷の長州を撃退し、天皇を守り、天皇は松平容保に感状を与えている。このことが大政奉還後に災いとなるのである。薩長は大政奉還となるや、鳥羽伏見の戦いで、錦の御旗を立て、旧幕府軍を破り、江戸城を開城させた。その後、詔勅による奥羽諸藩に会津追討令を出すのである。天皇のため、最も力を尽くした会津に朝敵の汚名を着せ、御所に大砲を打ち込んだ賊軍が官軍となり、御所を守った会津が賊軍になったのである。錦の御旗と戦うこと、東北の人々を戦火に巻き込むことを憂慮して、松平容保はひたすら恭順の意を示したが、薩長は聞き入れなかった。

年若い天皇を操り、天下に号令する薩長に奥羽諸藩は不快感を持っていた。全滅しても戦うと決めたのである。会津武士と奥羽諸藩は東北人として戦うことになった。圧倒的な火力を有する薩長との戦いに勝算はないにもかかわらず、東北魂、武士道に生きようとしたのである。長岡藩の執政河井継之助はこの戦に中立を保っていた。河井は藩政改革を行っていた。弱者に手厚い善政を行っていた。薩長か会津か旗色を明確にせず、双方の対立を収めたいと奔走していたが、「会津説得の猶予を」と嘆願するも、薩長から罵倒された河井は打つ手なしと判断、薩長の私怨とも言える、何の罪もない会津を、命を賭け守ること決めたのである。

徳川家への恩と義に殉じ、理不尽にも朝敵の汚名を着せられ、敢然と立ち向かい、見事に散った会津。権力掌握のためなら、なりふりかまわず、何でもする薩長に怒り、会津に同情しながら、両者の和解も果たせず、義に殉じ、弱者の側についた河井継之助。ともに東北が生んだ、日本人が誇りとすべき武士道精神の華である。誰が会津と河井を「時代が読めず、勝ち馬に乗れなかった」と思うだろうか。

そのような偉大な先人の東北魂のDNAを引き継いでいる手紙を送ってくれた人を、勝ち目のない戦いと知りながら、大義のため、多くの亡くなった東北武士は、「なんと情けないこと」と嘆くことだろう。東北魂はどこに行ったのだろうか。積水ハウスの不正や不実に義憤を感じれば、正々堂々とすべきだろう。姑息な手段で、あまり品がいいとは思えない地方の情報誌を利用しての積水ハウスの攻撃。これを見て、面白半分「積水ハウスがやられているなあ」と思う程度で、心ある人たちからは逆に反感を買うだけだと思う。普通の人たちに共鳴を与えるように行動すべきと思う。あなた達の先人は100年以上たっても、その思いと行動を崇拝され、尊敬されていることを忘れてならない。

  野口孫子   (敬称略)


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