(中牟田健一氏に直撃取材 その2)
中牟田健一氏の話を聞くと、吉田宏市長や市秘書課が「公務」と言い張る昨年12月4日に開かれた中央区平尾の和食店「なかむた」での懇談会は、多分に個人的な会合の色彩が強いと感じる。
「ニコルのために来てくれた行政とマスコミの方を、ほっとくわけにはいかない」。この中牟田氏の言葉は、「公務」との位置づけからは程遠い。
平尾の「懇談会」は、中牟田氏自身の親しい人間のために来てくれたフランス人への配慮のため、飲食の場を用意したもの、との見方も可能だ。
「市長には前もって、パーティに来て、食事ができなかったら、こういうの(平尾の飲食)があるんで顔出してくれませんか、じゃその時に、そういうこと」という発言は、初めにニコル氏のために集まってくれた人達のための飲食の場があり、二次的に市長にも飲食を共にするよう誘った、ということにしか聞こえない。単なる飲食への誘いを「公務」だとするにはいささか無理がある。
「食事ができなかったら」というが、食事が終わっていたらどうなっていたのだろう?このようないい加減な「公務」の案内があるのだろうか?
同時に、最初に中牟田氏が説明した「もしよかったらフランスのマスコミの方と食事かたがた話をしませんか」という市長への誘いの言葉からも、「公務」とすることの意義は見えてこない。
「市長は来るか来ないか分からなかった」という趣旨の発言が2度も飛び出したが、これも「公務」としての色合いを否定するかの発言としかとれなかった。
「フランス人記者と英語で政治の議論をしていた。市長はたいしたものだ」といった発言もあったのだが、これは英語であれ日本語であれ、「政治談議」に過ぎないということではないだろうか。
関係者の話では、「なかむた」の店内では、参加者がグループごとにテーブルやカウンターに分散し、それぞれが飲食や会話を楽しんだとされる。
ひとつのテーブルで、福岡市のことや市政について懇談をしたのではないということだ。
少なくとも、市長に関しては飲食しながら政治談議をしたに過ぎないとしか言いようがない。であるならば、「公務」ではなく、まさに「政務」として位置づけられるべき会合であろう。
吉田宏氏以前の市長は、政務と公務をきちんと区別していた。吉田市長が言う「24時間全て公務」とは、聞こえはいいが、裏返せばプライベートや政務であっても、市長や市役所が「公務」と言い張れば、不適切な公費支出がまかり通ってしまうということに他ならない。そんなことが許される時代ではないことは、マスコミ出身の市長なら理解しているはずである。
中牟田氏の話をさらに検証してみよう。
つづく
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