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積水ハウス100周年を目指して (42)根拠なき自己過信は無責任を生む| 愛する積水シリーズ
連載コラム
2008年6月12日 15:23

日本の官僚が、自分達をエリートとして過信しているため、いろいろな問題を露呈してきていると思う。戦後、官僚が主導して、護送船団方式をとりいれ、奇跡の復興を遂げ、世界第二位の経済大国にのし上げた自負があるのだろう。

古い話になるが、戦前、中国満州での関東軍の上層部には傲慢なエリート意識があったため、ソ連の満州国境での軍備増強の情報にも聞く耳持たなかった。やがてソ連と衝突、圧倒的火力の差に大敗するのである。しかし関東軍上層部は反省もせず、責任をとる事もしなかったのである。なぜこのような無責任なことが出来るのか。彼らはエリート意識がものすごく強かったのだ。「陸軍大学の優等生」というエリート意識が、傲慢で無責任な参謀集団にした。これと全く同じ事が、今の官僚の意識にある。「東大出のエリート集団」という、傲慢で無責任な集団になっているため、「失われた10年」といわれる経済政策の失敗について、誰も責任を取ろうとしない。

政策の失敗で官僚が辞職したという話は聞いたことがない。800兆円の借金を抱えてもなお、「税金を私物化し、使い放題していた」などと、次々にでたらめぶりが明らかになってきている。そんなことをしていても、むしろ既得権益を維持しようと、わが身を守る事に必死である。国民のためとか、国民の目線に立って政策を考える、とか言い訳しても、いずれも口先だけだ。誰か責任を取って辞めたという話は聞かない。

今の東大出のエリートといわれる人たちは、子供の頃から受験、受験、の偏差値教育で大きくなり、試験技術は得意でも、一般的教養、知的レベルはたいしたことはない。国民全体が戦後教育のせいで、知的レベルは低い。だから、真のエリートがいないのである。エリートとは国民のレベルが高く、そこから群を抜いて出てくる人のことで、日本全体のレベル低下の中から出てくるエリートはたいしたものでなく、今の官僚もたいしたことないのにエリートと錯覚しているだけなのだ。

アメリカのライス国務長官と、対等に話ができる政治家や高級官僚が、日本にいるだろうか。外交技術だけでなく、人間としての総合的バックグランドがない政治家や官僚が、彼女と対等に話し合うことは至難のことだろう。

積水ハウスの会長以下役員は、本来エリートであるべきなのに、会長、社長、副社長、専務、常務平取になった途端、自分の改革や成長がないにもかかわらず、権力だけで、優秀な人材を威圧するしかないのである。優秀な大学を卒業しているわけでもなく、バックグランドも持ち合わせているわけでもない。今の東大出のキャリア官僚よりお粗末ではないか。

積水ハウスには、東大、京大等、旧帝大の出身者が育たない。管理者が無能なのか、途中退社なのか、干されてしまい、役員の中に殆どいないのである。親会社の積水化学には、東大、京大出が山のようにいるのに大きな違いである。一般的に、レベルの低い組織から真のエリートは生まれない。自分がエリートと錯覚して 何でもありの政策をとり、自分の利益優先、責任は取らない風土を作ってしまうのである。

田鍋(元社長、会長、事実上の創業者)は東大出だが、決して威張らず、媚びず、社員と運命協同体として、会社の利益を年4回の賞与として配分したのである。社員の士気は大いに上がった。以前にも記述したが、「仁欲すれば、ここに仁至る」と孔子の言葉(論語)にある。「自分が真剣に仁を求めれば、仁は今ここにあらわれる」という意味。儒教の最高の徳目、仁とは他者への思いやり、人間愛、惻隠の情である。

田鍋は、30年にわたる積水ハウスのトップとしての集大成が、積水ハウスの経営理念としての根本哲学として、「人間愛」と定めたのである。このような、田鍋亡き後の落差に戸惑いを感じてる社員が多いのではないだろうか。


野口孫子  (敬称略)


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