小が大を飲む
買う側、買われる側という関係を解りやすく表現すれば、植民地支配者と被支配者の関係である。前記したA社の例をレポートしてみよう。買う側とA社の経営者が交渉のテーブルで議論した。当然、経営談義に花が咲く。3回ほど交渉したあとのことだ。買う側の経営者が「コダマさん! 良い会社を紹介してくださいました。A社の社長の経営哲学は素晴らしいです。私の経営感と根幹で一体化しています。議論をするにつれて、感銘することばかりです。経営のお師匠さんに邂逅した感動の心境に浸っています。」と感謝してくれた。これだけ感謝の礼を尽くされば、当方も悪い気持はしない。
早速、A社社長にこの旨を伝えた。「そんなお世辞を言われても何もでないよ。」と謙遜する。「イヤー、相手は真剣に経営の助言を受けたいとおっしゃっていますよ。できるならば本社を視察していただき、会社改善の意見を伺いたいとも言われています。」と包み隠さず買う側の社長の本意を披露した。買われる側の立場の俺の方が、そんなに出しゃばって良いのだろうか、とA社社長は控えめな姿勢を崩さない。「社長の経営能力を評価して企業価値を決めたのだから、本社改善のプランを提示する宿命がありますよ。」と諌めた。
買う側の社長の人格が影響しているとしても、このM&Aには買った側・売った側という強者・弱者の色彩がまるで無い。経営理念・企業の価値観が一体化した2社が切磋琢磨して、強いグループを結集しようという前向きの思想で統一されている。このM&Aのケースは、1プラス1が2でなくそれ以上になるだろう。究極の実例になることは間違いない。買う側の経営者が感服している。「A社には優秀な人材が育っている。我が社よりもいるかもしれない。」と。「小が大を飲み干した」ような雰囲気作りが成功の秘訣かもしれない。
資本の論理だけでは必ず失敗する
A社の例とは対照的なケースはB社のケースだ。まさしく資本の論理でM&Aを強行してきた。B社の経営陣の気持は分かる。業界が縮小しているなかで、同業他社の小売店を買収していくしか選択の道が無いのは承知している。この資本力を背景にしたB社の業容拡大戦略は、一時的に成功したように見られた。だが同業界の不況の影響による不良債権の発生と売上の落ち込みから、買収した企業の過半数は四苦八苦に陥っている。外部環境に不振の理由をあげつらうのは簡単だが、結局のところ社員教育を怠ってきたところに負うところが大きい。またB社内部にも大した人材がいないのに、「株の大半を押さえれば経営は何とかなる」という単純戦略で規模拡大したツケが回ってきたのだ。
ある地方都市に取材に行ったときの話だ。「B社が買収した先は、実はかなり前に買収してくれと相談がありました。」と、あるオーナー会長が経緯を説明する。この会長は持ち込まれたM&Aの案件を断った。断った理由として、粉飾決算をしているという情報をキャッチしたこと、社員たちがあちこちで会社の悪口を言っていることなどがある。その会長は、売りに来た先方の経営者に親切心から率直に伝えた。「御社の社員たちのレベルが低すぎる。貴方の悪口、会社への不満をぶちまけている」と。相手の社長は厭味を言われたと青筋を立てて席を立ったそうだ。その後、B社に急行して企業買収の商談が成立したのである。
B社の乗り込みの姿勢には、買う側の支配者然とした傍若無人さがあった。営業力のあるプライドを持った社員たちは、地元の他の同業者へ転職した。残った滓(かす)社員たちは、相変わらず侵攻してきた経営陣を批判して憂さを晴らす営業日課であるから、数字が上がるはずがない。B社にしても送り込む幹部の駒が手薄になり、対策が打てない。お粗末な現実を放置するしか術がなかった。抜本的な策が講じられないとみると、滓社員は図に乗ってますます会社を出るとサボることばかりに専念するようになる。
冒頭で紹介した経営通は「それ見たことか! 企業買収は9割失敗する。欲張りなB社だ。」と高威張りする。B社の失策は彼の幼稚理論を正当化してしまった。困ったことだ。中小企業の買収成功の秘訣は、飲み干される側の社員たちの士気を高揚させる心配りである。B社はようやくその真理を悟ったのではないか。(結)
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