我々一般人には、景気がいいという景況感は感じられなかったが、戦後最長を更新していたと言われる好景気が遂に後退局面に入ったといわれている。原油も再び最高値をつけた。政府の月例経済報告でも景気判断で下方修正した。そのような経済情勢の背景の中、住宅への投資が落ち込むことになることは容易に想像できる。
しかしながら積水ハウスは、過去、二回のオイルショック時代、バブル崩壊後の失われた10年の時代、この大不況の時代を、経営者と社員が一体になり乗り越えてきた。過去の経験測から見ると、何とか頑張れると思いがちだろう。しかし、最早過去の成功体験は通用しない。和田(現会長、前社長)体制の10年、この間、積水ハウスには家族的情愛、会社と社員は運命協同体、労使はなく労労だと言う、会社と社員の一体感はなくなってしまっているように見える。
積水ハウスで言う、失われた10年といわれるかもしれない。安部新社長の登場で、大いに期待する面もあるが、和田は権力を維持するため、CEO,COOなど、自分に都合のいい外来の呼称を導入し、本来の役割分担も理解せず、会長、権力者がCEO、COOが二番目と理解しているようである。
そういった組織なら、何ら変わらない。この混迷を抜け出すのはかなり難しいだろう。積水ハウスのトップからは、数字やノルマの追及は厳しくなり、本部長へ、支店長へ、店長へ、担当へ、と要求は厳しくなるばかりだろう。担当は追求を逃れるため、苦し紛れに架空の契約を計上、それを管理すべき支店長は、数字が欲しいため、見て見ないフリをする可能性もある。本来、支店長は経営者的発想で管理すべきだ。ちゃんとした契約をして、工場から出荷し、工事をして、売り上げを計上した数字が全てのはず。なぜか契約が優先し、経営数字に結びつかない架空の契約をありがたく思い、部下から騙され、見過ごしてしまう。
以前「福島からの手紙」で指摘された事が、一部で起こる可能性もあるのである。ノルマの厳しい追求はコンプライアンスの問題に抵触することを、誘発する可能性も秘めている。不祥事の発生は社員の士気も乱れ、心の荒廃に結びつき、会社の総合力は低下してしまうものだ。トップ、地域幹部の管理能力が問われているのである。積水ハウスに、吉田松陰のような人物がそろそろ出てきてもいいような気がする。吉田松陰は黒船来航以来幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄で死刑になった。その処刑前に詠んだ歌「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」がある。
たとえ行き着く先は死刑とわかっていても、正しいと信じることをせずにおれない、という意味。積水ハウスが田鍋時代に、業界トップになれたのは、積水ハウスの品格が高かったからだったと思う。まずお客様のために、会社は何をすべきかを追及し、そのことが世間に受け入れられ、NO.1になり、それに伴い利益もついてきたのである。この混迷の時代を乗り切るためには、田鍋の経営哲学に戻り、まずは体制立て直しが必要であろう。
野口孫子(敬称略)
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