日本の国の明治以降の歴史を見ると、明治の中期まで、新興国日本の指導者は、当時の超大国ロシアに立ち向かうため、知恵の限りを尽くした。そして、講和に持ち込み、何とか勝利を勝ち取った。一代目は自分の力を知り、軍事以外に、外交、政治と活発な戦略を展開し、正に政治の勝利だった。日露戦争に勝ち、日本におごりが出始めた。この時期は二代目にあたる。
昭和になり、三代目は一等国になったという幻想にとらわれ、その傲慢から太平洋戦争に突入。完膚なきまで叩きのめされ敗戦となった。アメリカの壮大な計画も知らず、日本の指導部が思い上がった結果である。
戦後経済を見ても、戦後の混乱期の頃、まさしく一代目経営者の時代だった。松下幸之助、本田宗一郎、ソニーの井深大、盛田昭夫、石坂泰三など気概溢れる大きな経営者がどんどん出てきた。
彼らによって、日本は敗戦の泥沼から這い上がらせ、急速な経済発展を遂げるのであった。その後は高度成長時代。この頃の経営者を二代目としよう。先代の築いたレールを走っているだけ。やがて、バブルがはじけ、三代目にバトンが渡されたが、日本を敗戦に導いた構図と同じだ。世界一とはやし立てられているうちに、いつの間にか、失われた10年の間に、世界から取り残されてしまっていた。
経営者も国家も、一代目は真摯な気概と時代に趨勢を見極める能力をもっていたのである。
積水ハウスの和田は三代目である。実質上の創業者である田鍋を一代目とすれば、奥井が二代目。創業時は積水化学のお荷物の住宅事業部を分離独立させ、田鍋を社長として送り込んできた。この歴史は、第一回の積水ハウスの興亡史の中で詳細に記述しているので参照していただきたい。田鍋の背水の陣の経営がスタートし、売り上げ100億も満たない会社から1兆円を越える会社に育て上げたのである。
田鍋の、時代の流れに対する読みの深さ、社員を一丸と団結させる力、それよりも何よりも、積水ハウスの根本哲学となっている「人間愛」、人への思いやりが、この会社の繁栄の原動力になっているのである。三代目和田に、一代目田鍋の気概と精神性を見習え!と言いたい。
会社の利益より、自分の利益を優先させる三代目が多いがため、会社を滅ぼしてしまうケースもある。
一代目田鍋が築いた良き伝統の火を消してはならない。社員も会社の将来を信じるなら、和田の独走を許さず、英知を絞ってけん制機能が仂くよう、団結すべきである。
野口孫子(敬称略)
※記事へのご意見はこちら