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ベルシステム24の社長が解任 クーデター関係者の人生模様 (下) | 東京レポート
特別取材
2008年6月25日 09:25

クーデター事件

 時計の針を4年前に巻き戻す。04年7月に開かれたベル24の取締役会で、日興コーディアルグループの100%出資の投資子会社NPIの特別目的会社を割当先とする1,042億円の増資を決議した。狙いは、情報サービス大手CSK(現・CSKホールディングス)の持ち株比率を39.2%から19.0%に引き下げることにあった。

 この第三者割当増資によって、ベル24の親会社であるCSKは筆頭株主の地位を失った。ベル24はCSKグループから離脱し、日興グループ入りを果たした。ベル24は、この増資で得た資金でコールセンター会社BBコール(ソフトバンクBBの100%子会社)を買収した。
 「こんなことが許されるのであれば、日本の資本主義はいったいどうなってしまうのか」。ベル24の社外取締役で、筆頭株主でありながら、蚊帳の外に置かれていたCSKの青園雅紘会長(現・取締役会議長)は当時、怒りをあらわにした。経済界を揺るがした「ベル24のクーデター事件」である。

 クーデターの中心人物は園山氏。67年に慶応大学経済学部を卒業し、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。米ニューメキシコ大学経営大学院へ留学した後、転職、失業を経験。CSK創業者の大川功氏にスカウトされて、84年にCSKに入社。経営不振にあったベル24の再建ために派遣され、87年8月に社長に就任した。CSK会長の青園氏は野村證券出身。01年創業者の大川氏が亡くなると、個性の強い青園氏は野村人脈でCSKを固め、園山氏と対立が続いていた。

 当時、クーデター事件について、証券関係者は内実をこう明かした。
 「クーデターを指南したのはソフトバンクの孫正義社長と、この案件でアドバイザーを務めた米投資銀行、ゴールドマン・サックス証券。日本テレコム(現・ソフトバンクテレコム)の大型買収を行ない、いくらでも資金が欲しいソフトバンクはBBコールを売却して資金をつくることにした。園山氏にBBコールの買収と独立を持ちかけ、日興コーディアルにも増資の橋渡しをした。かくして、青園氏と対立を深めていた園山氏は、CSKグループから離脱するクーデターを敢行した」。

明暗の分かれた事件関係者

 クーデター事件は関わった人々の明暗を分けた。暗は日興とベル24の経営陣だ。日興コーディアルグループは、NPIが保有しているベル24株の取り扱いについて、不適切な処理を行なっていたことが発覚した。デリバティブ(金融派生商品)を使った、この複雑な仕組みについては省略するが、本来であれば、日興はNPIの特別目的会社が保有しているベル24株について、930億円の評価損を計上すべきだった。しかしそれでは損失が出るので、簿外にしたうえ、翌年にはベル24株をNPIに移して連結対象にして、147億円の評価益だけを取った。いいとこ取りの利益の水増しの手口だ。
 かくして、有村純一社長と金子昌資会長が引責辞任。利益水増し事件が命取りとなり、米シティグループに買収されてしまった。そのあおりで、クーデター事件の盟友であったベル24の園山氏は解任されたのだ。

 クーデター事件で「一人勝ちした」のがソフトバンク。100億円の赤字に苦しんでいたBBコールを500億円で売却したうえに、貸付金188億円も引き継いでもらった。さらに、BBコールが予定していた設備投資に必要な資金592億円も、ベル24が貸し付けるかたちで提供した。大赤字が一転して巨額の資金を生み出したうえに、資金負担を免れるというマジックだ。
 BBコール売却で得た資金を元手に、ソフトバンクはボーダーフォン日本法人(現・ソフトバンクモバイル)を買収して携帯電話ビジネスに参入。次は中国のケータイ市場を視野に入れるまでになった。
 その転換点になったのが、ベル24のクーデター事件であった。成功の階段を一気に駆け上がった人もいれば、失脚し、解任された人もいる。クーデター事件に関わった人々の、その後の人生はさまざまだ。

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