福岡市立中学校の自然教室に持参する生徒の衣服について、問題提起をする2回目。昨日ご紹介した中学校配布のプリントの裏面をもう一度見ていただきながら、さらに詳しく検討してみたい。
「白Tシャツ」「就寝用ジャージ」「化繊ではない長袖・長ズボン」これらの衣服は、学校指定のジャージや体操服とは別に用意しなければならない。多くの家庭が新たに購入するというのだが、「おかしい」と感じる保護者がいるのが現実である。福岡市教育委員会学校指導課に話を聞いた。当方の取材の趣旨は次のようなものである。
1 現状では白色のTシャツを日常から着用する生徒は少ないのではないか。ワンポイントは可というものの、捜すのが大変という白色Tシャツを2~4枚も用意させるのはムダではないか。
2 就寝時のジャージを用意することもムダではないか。学校指定のジャージでは駄目なのか。
3 化繊ではないもの、というと木綿等に限定されるが、これもムダにつながるのではないか。
4 結局「買わされた」という表現で疑問を投げかける保護者が多いが、どう考えるか。
これに対応した主任指導主事は、まず、華美にならないことを念頭に、こうした指示を出したのではないかとしながら、「あるものでいい」という指導もしているはずだと言う。しかし、白いTシャツばかり3枚も4枚も持っている生徒は少ないだろうし、柄物Tシャツでもいいのなら、わざわざ「白ワンポイント」などと指定する必要はない。あるものでけっこうと説明すればことは足りる。
15人ほどの保護者に話を聞いてみたが「あるもので良い」という説明はなかったという。
華美にならないようにというが、どの程度からが華美なのだろう。Tシャツの柄が華美ではいけないというのか、あるいは値段が高いものを指してのことなのか判然としない。教委・主事は「過去に、丈の長いものを持ってくる生徒もいた」とするが、その程度のことなら形状について事前に指導すればよい。これもTシャツの指定根拠としては納得できない。
10年ほど前に中学校を卒業した女子生徒のお母さんにも話を聞いてみたが、当時からTシャツのことでは質問が多かったのだという。基準が曖昧なため、結局「買わされた」が、もったいないので、あとはお父さんが着ていたと振り返る。白のTシャツは透けてしまうので女子生徒には不便なのだという。
最終的には、教育委員会の主事も、「確かにTシャツについての記載内容は考えないといけないかもしれません」と消極的ながら不適切であることを認めてくれたが、教育現場でどのように指導するかまでは言及しなかった。就寝時のジャージや、化繊ではない長袖・長ズボンについては、納得できる回答はなかった。
さらに、「買わされた」との表現については「家庭の問題でしょう」という言葉が返ってきたが、これには強く反論させてもらった。(他の生徒と違うものを着せたら自分の子供だけが浮いてしまう)、そう考えるのも親心である。中には「あるものを持って行け」と強気の姿勢で臨む保護者もいると聞くが、大抵は負担に感じつつも購入して揃えるという。学校側が「あるものでいいが、華美にならないように」と指示すれば、わざわざ探し回ったり、購入する必要がなくなる家庭は多いだろう。「Tシャツ(白ワンポイント)」と指定されれば、「買わされる」と感じるのは事実であり、いささか過激な表現かもしれないが、そう仕向けているのは学校側ということになる。
議論することも「教育」
Tシャツに限らず、本来は「あるもので済ませる」ということをもう一度考えるべきではないだろうか。子どもの教育に金をかけるなとまでは言わない。しかし、食べ物にしても衣服にしても、教育現場が無駄な消費を助長していたら、「大切にする心」を育むことなどできないだろう。給食パン持ち帰りの是非同様、衣服についても保護者の様々な意見があるのかもしれない。しかし、その集約が難しいから、無難そうなものを「揃えて下さい」というのでは余りに安易過ぎる。
「心を育む」ためには、それなりの過程が必要なはずだ。こうした問題について、子ども達を交えて議論することも「大切にする心」を育む過程ではないだろうか。お仕着せばかりでは「教育」にならない。
おわり
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