昭和24年(1949)、ロスアンジェルスで行われた全米水上選手権に招待された古橋広之進選手は、1500m、800m、400mの自由形3種目に参加し、すべてに世界新記録を打ち立てるという快挙を成し遂げました。アメリカの新聞で「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋選手の活躍は、敗戦で打ちひしがれていた人々の心に感動を呼び起こします。当時はテレビがなく、S少年とT少年はラジオの前で実況放送に熱狂していました。
T少年は「古橋選手はサツマイモを食べながら猛練習したすごい選手」と思っていましたが、S少年は雑誌で古橋選手がウナギの蒲焼を食べている写真をみていて「元気の源はウナギだった」と主張しました。二人は、しばらくの間「イモかウナギか」で言い争いましたが、やがて古橋選手が浜松の出身ということが分かって「イモも食べたけど、ウナギも食べた」のだと、ともどもに納得して仲直りしました。こうして、二人の友情にヒビが入ることは避けられました。
日刊スポーツ新聞のサイトに「古橋選手は戦後間もない22年、米軍が接収していた神宮プールで、普段はいているフンドシの上に人絹のパンツを着けて泳がせてもらった」とあります。この年、このプールで古橋選手は自身初の世界新記録を出したのです。この時も、古橋選手はフンドシの上に人絹のパンツを着用していたにちがいありません。最近話題になっているスピード社の水着は、選手の筋肉を締め上げ浮力をつけ好記録を出すとのことですが、スピード社の水着を着けて泳いだ人の方が、より速く泳げるということになると、選手より水着の方が勝ち負けの行方を決めるような気がします。北島選手の「水着ではなく泳ぎをみてほしい」という気持ちがよくわかります。
オリンピックは、なるべく道具の力を借りずに人間本来のパワーを競う競技です。とすれば(男子水泳選手だけでも)褌とはいいませんが、なるべく裸に近い形で競泳すると、かえって選手自身の裸の実力が分かるでしょう。因みに、ふんどしで泳いでいた小学生時代の古橋選手は、「豆魚雷」と呼ばれていました。「豆魚雷」という名は水着ではなく古橋選手に付けられたものです。当時、水着のことなどは考えもせず人々は、ただただ古橋広之進選手の見事な泳ぎに拍手を送っていたのでした。
小宮徹
(株)オリオン会計社 http://www.orionnet.jp/
※記事へのご意見はこちら