九州新幹線西ルートは、2007年12月16日、計画を推進する佐賀県・長崎県・JR九州(株)による「三者合意」によって08年3月着工が認可され、4月に起工式が行なわれた。桑原允彦・鹿島市長とともに反対を貫いてきた田中源一・江北町長に新幹線着工をめぐる経過と今後について話を聞いた。
1、「三者合意」の裏表
――「三者合意」は、報道されているように一夜にして決まったのですか。
田中 私たちが「経営分離」に同意しないものですから、県から「今でないと振興策はあげない」と言われてきましたが、それも断ってきました。昨年来の国の動きを見てきたら、「沿線自治体の同意を得なければならない」というルールが変わるかもしれないと考えていましたが、佐賀県・長崎県・JR九州(株)の「三者合意」ではルールは変わらず、着工に向けて「関係者で努力をしなさい」という形になりました。関係者というと、われわれ江北町や鹿島市も入っているだろうと思っていましたが、どうも違うという雰囲気で、佐賀県、長崎県、JRの三者合意で良い案を作ってこい、ということになっていったわけです。その結果、われわれが同意をしなくてもいいように、「JRが20年間は運行するから経営分離ではない、だから同意は要らない」ということになったわけです。「経営分離ではない」と言われますが、両県は毎年、2億3千万円の維持管理費を負担していかねばなりません。さらに赤字の1億7千万円もJRと両県で払っていくということになります。それでも経営分離でないと言えるのでしょうか。経営分離と同じではないでしょうか。だから私たちは、「江北町の同意が必要だ」と主張してきました。冬柴国土交通大臣の「新幹線はすべての人に祝福されて着工すべきだ」というコメントもあったので、着工はしないだろうという期待をしていたのですが。
――この知恵はだれが考えたのでしょう。
田中 誰がこの妙案を考えたのかわかりませんが、地方の同意を取らなくてもいいような方法を、ということで新幹線推進派が考えついたのではないでしょうか。
――今度の新幹線問題に対する田中町長の対応は、片意地張ったものではなくて、自然な態度であったと思われますね。
田中 ―町民や県民が思っていたことを堂々と発言しただけです。
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